お問合せ 削除依頼


画像クリックで原寸大表示
投稿日:2016/04/06 14:15

ソバ

投稿者 [no name]      
投稿一覧

プロフィール


すべての投稿

トップページ


  

ツイッター、フェイスブックでログインする事により投稿できます



蕎麦(そば)は、穀物のソバの実を原料とする蕎麦粉を用いて加工した、日本の麺類の一種、および、それを用いた料理である。今日、単に「蕎麦」と呼ぶ場合、通常は蕎麦切り(そばきり)を指す。中華そばなどと区別して日本蕎麦(にほんそば)とも呼ばれる。
歴史は古く、寿司、天ぷらと並ぶ代表的な日本料理である。この蕎麦の調味として作られる「つゆ(蕎麦汁)」は、地域によって色・濃さ・味になどに明らかな違いがあり、その成分も各地によって好みが分かれる。
蕎麦を供する場合には皿(竹簾が敷かれている専用の蕎麦皿など)やざる(ざるそば用)、蕎麦蒸籠などが用いられる。蕎麦つゆを供する場合には徳利(蕎麦徳利)と猪口(蕎麦猪口)が用いられることが多い。また汁を張った丼に蕎麦をいれて供するものもある。
蕎麦は専門店のみならず、外食チェーンなどのメニューにも載っており、小売店などでも麺が乾麺または茹で麺の状態で販売され、カップ麺としても販売されている。
「蕎麦粉」、「つなぎ」、「水」を用いて作られる(製法は蕎麦粉を参照)。つなぎを用いないこともあり、風味付けの材料を加えることもある。
つなぎ(結着剤)は一般的には小麦粉が用いられる。小麦粉に対する蕎麦粉の配合割合によって名称が変わる(詳細は#蕎麦粉割合による分類を参照)。
他につなぎとして使用されるものは鶏卵(卵切り蕎麦と称する)、長芋・山芋、布海苔(へぎそばと称する)、こんにゃくやオヤマボクチなどがあり、それらを加えることで独特の食感やコシが発生する。
また、風味付けに加えられる素材によって、胡麻切り蕎麦(黒ゴマを使用)、海苔切り蕎麦(海苔を使用)、茶蕎麦(抹茶を使用)などの種類がある。店によってはモロヘイヤ、山椒、タケノコ、ふきのとう、アシタバ、大葉、柚子、若布、梅などの季節の植物を練り込んで出すところもある。
蕎麦は、人力による手打ち、製麺機による製造にかかわらず、通常次の工程により作られる。
「水回し」ないし「ミキシング」 - 蕎麦粉とつなぎを混ぜ、加水しながら撹拌し丸い蕎麦玉にする。手打ちの場合は「こね鉢」と呼ばれる木製の鉢を用いる。
「木鉢(きばち)」ないし「プレス」 - 蕎麦玉を繰り返し押しつぶすことで練り、粘着性を高める。
「延し」ないし「ロール」 - 生地が張りつかないよう打ち粉した上で、薄く圧延し、平たい長方形型にする。手打ちの場合は木製の麺台に載せ、「麺棒」と呼ばれる木の棒を用いて圧延する。
「切り」ないし「カット」 - 圧延した生地を幅1 - 2mm程度の線状に切断して麺の形とする。手打ちの場合はまな板に載せ、何層かに折り畳んだ後、「小間板」(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で切断する。
以上により切り出された蕎麦麺を茹で上げれば蕎麦が完成する。
通常、蕎麦はたっぷりの大きな鍋で湯がかれる。茹で上がった麺を取り出す場合には金属製あるいは竹製のザル状になったそば揚げが用いられることも多い。蕎麦を茹でた湯はごく薄い粥のようになる。これを蕎麦湯(そばゆ)という(詳しくは後述)。
食べ方
一般的には以下の食べ方がある。
もり蕎麦・ざる蕎麦
茹でた後にぬめりを取るために冷やしながらそばを洗い、木製か竹製の四角形の器の底にすのこを敷いた蒸篭(せいろ)や笊(ざる)に盛り付ける。「蕎麦猪口」と呼ばれる別の小型の器につゆを入れ、箸で一口分を取ってつゆにつけながら食べる。かけ蕎麦より古い食べ方である。
つゆの薬味として、摺り下ろしたわさびと刻んだネギが最も用いられる。いずれも、つゆとは別にされ、好みに応じた量がとれるようになっている。わさびはつゆに溶いたり、風味を損なわないように蕎麦に乗せたりする。
かけ蕎麦
かけそばは、冷水や氷水で〆てぬめりをとり、熱湯で温め直してから丼に入った熱いつゆの中に入れて食べる。
薬味として、小口切りにした長ネギと七味唐辛子がよく用いられる。細かく刻んだ柑橘類の皮を入れると、風味が立つ。
ぶっかけ蕎麦
茹でた後にぬめりを取るために冷やしながらそばを洗い器に入れ、食べる際に別の器に入ったつゆをかけて麺を浸した状態で食べる。器は丼型か、より広口の器が用いられ、深皿のような浅い器も用いられる。また、出水そばや出雲そばのように小型の皿に分けられていることもある。
主となる具を、蕎麦の上に綺麗に盛り付ける。盛り付け方は冷やし中華に近い。
もり蕎麦・ざる蕎麦とぶっかけ蕎麦は冷たいつゆを用い、かけ蕎麦は温かいつゆを用いる。それぞれ「冷たい蕎麦」「温かい蕎麦」と分類されることが多い。ただし温かいつゆのつけ蕎麦や冷たいつゆのかけ蕎麦もあって、これらの言葉は一義的ではない。ちなみに、江戸前そばを中心に冷たいつゆを「辛汁(からつゆ)」、温かいつゆを「甘汁(あまつゆ)」と呼ぶが、高遠そばではみそ味のそばつゆを「からつゆ」、醤油味のそばつゆを「あまつゆ」と呼ぶように蕎麦つゆも呼び方は統一されていない。
新蕎麦の時期に見られる珍しい食べ方として、蕎麦の香り・歯触り・喉越しを楽しむためとして、つゆをつけずに、水や塩をつける方法がある。それも蕎麦が味だけでなく香りを重要視するためである。そうした香りを存分に味わうには、空気を一緒に啜り込み鼻孔から抜くようにして食べることによって存分に賞味できるとされるが[4]、例えば「噛まずに一気に飲み込むのが通」という俗説は生粉打ちに近い蕎麦のコシと噛む事で広がる香りが楽しめなくなるため逆効果であるのに[5]、通ぶって作法の講釈を好むことは逆に野暮とされる。もともと作法にこだわらずに香りや喉越しを楽しむものであり、音を立てることがマナー上も許されている点で、うどんや中華麺などと並んで世界的に稀有な料理である。
蕎麦好きな人の中には、蕎麦とは香りと歯触りを賞味すべきものであるとして、「蕎麦はもり(そば)に限る」というこだわりを持つ人もいる。食通で有名な文豪・池波正太郎の書生をつとめ、自らも蕎麦好きを自認するルポライターの佐藤隆介は、著書の中で「めんつゆに卵を入れようとしたところ、卵など入れてはいけないと池波にたしなめられた」というエピソードや、ざる蕎麦すら供さない名店のような例を挙げ、蕎麦切り本来の滋味を味わうにはもりが一番であると述べている。佐藤は、海苔がのっていては蕎麦の香りが損なわれるからだろうと書いている[6]。
さらに細分化された蕎麦料理については蕎麦料理の種類を、参照
栄養・成分
蕎麦は、ビタミンB1を豊富に含み、脚気などのビタミンB1欠乏症の予防に効果がある。江戸中期から白米による江戸わずらい(脚気)が流行し出し、その頃から江戸で蕎麦が流行した[7](蕎麦#東京も参照のこと)。 蕎麦粉(全層粉)の段階におけるタンパク質含有量は、ダイズに比較すればそれほど多くはないものの、その蛋白質は1985年のFAO/WHO/UNU必須アミノ酸基準値でアミノ酸スコア100点となっており、穀物としてバランスのよいアミノ酸組成を有している。ただし、蕎麦粉に小麦粉を混ぜて麺を作ると、リシンが乏しい小麦粉のアミノ酸組成の影響を受けてリシンを第一制限アミノ酸として蕎麦麺のアミノ酸スコアは低下することになる。蕎麦(蕎麦粉)に含まれる特徴的な機能性成分としてルチンがあげられる。
蕎麦の窒素1gあたりの必須アミノ酸比較
アミノ酸 穀類/そば/そば粉/全層粉[8] 穀類/そば/そば/生[9] 穀類/そば/干しそば/乾[10] 1985年基準値 (mg) (参考)1973年基準値 (mg)
イソロイシン 230 210 210 180 250
ロイシン 410 410 410 410 440
リジン 370 190 180 360 340
含硫アミノ酸(メチオニン+ システイン) 280 220 220 160 220
芳香族アミノ酸(フェニルアラニン+ チロシン) 440 460 470 390 380
トレオニン 240 180 180 210 250
トリプトファン 100 78 76 70 60
バリン 320 260 260 220 310
ヒスチジン 170 140 140 120 -
ネパールでの1992年の血圧調査で、蕎麦粉を主食としている地域は、小麦粉を主食としている地域よりも血圧が低かった[11]。
健康ブーム隆盛を極める現在でこそヘルシーな粗食とみなされているが、伝統的には『本草綱目』巻22に「腸胃を実(み)たし、気力を益し、精神を続(つ)なぎ、能く五臓の滓穢を煉る。」とあるように、むしろ高い栄養価による滋養強壮効果が便宜とされていた。
そばアレルギー
蕎麦はアレルギー物質を含む食品として食品衛生法施行規則により指定されており、特定原材料を含む旨の表示が義務付けられている。そば・うどんを併売する店では、同じ釜でそば・うどんを茹でる場合も多く、アレルギー物質が混入する可能性があり、注意が必要である。過去には、給食でそば粉を使用した蕎麦を食べた事が原因で発作をおこし、吐瀉物が気管に入って小学生が窒息死した事故があった。
詳細は「ソバ#アレルギー」を参照
歴史

江戸後期の「風鈴蕎麦」の屋台(深川江戸資料館)

天秤の屋台には七輪などが収まっており、麺を茹でたり簡単な調理ができる厨房機能がある
ソバの日本への伝来は奈良時代以前であることは確実である。『類聚三代格』には養老7年8月28日(723年10月1日)と承和6年7月21日(839年9月2日)付けのソバ栽培の奨励を命じた2通の太政官符を掲載しているが、当時「曾波牟岐(蕎麦/そばむぎ)」(『本草和名』・『和名類聚抄』)あるいは「久呂無木(くろむぎ)」(『和名類聚抄』)と呼ばれていたソバが積極的に栽培されたとする記録は見られない(なお、『和名類聚抄』では、蕎麦(そばむぎ)を麦の1種として紹介している)。さらに鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、平安時代中期の僧・歌人である道命(藤原道長の甥)が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記している。これは都の上流階層である貴族や僧侶からは蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言える。この時代の蕎麦はあくまで農民が飢饉などに備えてわずかに栽培する程度の雑穀だったと考えられている。なお、蕎麦の2字で「そば」と読むようになった初出は南北朝時代に書かれた『拾芥抄』であり、蕎麦と猪・羊の肉との合食禁(食い合わせを禁ずる例)を解説している。
古くは粒のまま粥にし、あるいは蕎麦粉を蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練り とも言う)や、蕎麦焼き(蕎麦粉を水で溶いて焼いたもの。麩の焼きの小麦粉を蕎麦に置き換えたもの)などとして食した。蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。蕎麦掻きと区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれた。現在は、省略して単に蕎麦と呼ぶことが多いが、「蕎麦切り」の呼称が残る地域も存在する。
この蕎麦切りの存在が確認できる最も古い文献は、長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の寄進記録である。同寺での1574年(天正2年)初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認でき、少なくともこの時点で蕎麦切りが存在していたことが判明している。
他に蕎麦切り発祥地として中山道本山宿(現在の長野県塩尻市宗賀本山地区)という説、甲斐国の天目山栖雲寺(現在の山梨県甲州市大和町)説(天野信景著『塩尻』)もあるが、定勝寺文書の傍証に鑑みるに、確実な発祥地とは言い難い。
蕎麦切り発祥の年表[12]
西暦 年号 文献 記載
1574 天正2 定勝寺文書(3月16日) 「定勝寺の修復工事で金永からそば切が振舞われた」
1614 慶長19 慈性日記(2月3日) 「常明寺でそば切を振舞われた」
1622 元和8 松屋久好茶会記(12月4日) 「茶会でそば切を出した」
1624

1644 寛永 蕎麦入門(1975/昭和50) 「朝鮮の客僧元珍が小麦粉の使用を伝えた」という説がある(文献は無く新島は否定的)
1642 寛永19 幕府御触書 「飢饉対策で、そば切・うどん等、穀物加工品の売買を禁じる」
1643 寛永20 料理物語 そば切(生粉打ち)の製法
1645 正保2 毛吹草 「武蔵と信濃の名物が蕎麦であり信濃から始まる」
1688

1704 元禄 遠野古事記(1763/宝暦13) 「元禄年間(1688〜1704)以前 は4月を過ぎると蕎麦切りが打てなかった」(生粉打ちが主体であったため)
1689 元禄2 合類日用料理抄 そば切(生粉打ち)の製法
1704

1710 宝永 塩尻 「棲雲寺の門前蕎麦が、うどんを参考にしたそば切の発祥と信州の人が語った」(つなぎを用いた製法か)
1707 宝永3 本朝文選 「そば切は信濃本山宿発祥で全国に広がった」(雲鈴/蕎麦切ノ頌)
蕎麦切りという形態が確立されて以降、江戸時代初期には文献に、特に寺院などで「寺方蕎麦」として蕎麦切りが作られ、茶席などで提供されたりした例が見られる。寛永20年(1643年)に書かれた料理書『料理物語』には、饂飩、切麦などと並んで蕎麦切りの製法が載っている。17世紀中期以降に、蕎麦は江戸を中心に急速に普及し、日常的な食物として定着していった。
同じく江戸時代に、諸大名から将軍家に献上された品などが記された武鑑のうち『大成武鑑(たいせいぶかん)』(出雲寺刊行)の、時献上(ときけんじょう)という季節の節目に行われた献上の項目には9家から蕎麦が献上された記録がある[13] [14][15] [16]。かつて「食膳にも据えかねる料理」とまで言われた蕎麦が、この時代に為政者への献上に用いられる名誉ある地位を確立した証左と言える。
将軍家に蕎麦を献上した9家のリスト
蕎麦の品名 領国名 石高 藩主名
十月蕎麦 信濃国飯山藩 二万石 本多豊後守助賢(水内郡飯山城主)
十一月蕎麦 上野国沼田藩 三万五千石 土岐美濃守頼之(利根郡沼田城主)
十月、十一月の内挽抜蕎麦 武蔵国岡部藩 二万二百五十石余 安部摂津守信寶(榛沢郡岡部在所)
十月、十一月の内蕎麦 下野国大田原藩 一万千四百石余 大田原飛騨守富清(那須郡大田原城主)
寒中挽抜蕎麦 上野国小幡藩 二万石 松平大蔵少輔忠恕(甘楽郡小幡城主)
寒中挽抜蕎麦 出羽国天童藩 二万石 織田兵部少輔信学(村山郡天童在所)
寒中殻蕎麦 上野国館林藩 六万石 秋元但馬守志朝(邑楽郡館林城主)
暑中信州寒晒蕎麦 信濃国高遠藩 三万三千石 内藤駿河守頼寧(伊奈郡高遠城主)
暑中寒晒蕎麦 信濃国高島藩 三万石 諏訪因幡守忠誠(諏訪郡高島城主)
麺類の総称としての「そば」
中華そば・焼きそばなどのように、原義から離れて麺類を「そば」と通称することもある。このために、蕎麦粉を用いていないにもかかわらず「そば」の名が定着している食品もある。こうした用法の場合は「蕎麦」の字は用いず、ひらがなで表記するのが通例である。
たとえば、沖縄で単に「そば」と言えば通常、ソーキそばなどで有名な沖縄そばを指す。これは、蕎麦粉を一切使わず、100%小麦粉で、ラーメン製法と同じくアルカリ水溶液で練る。このため、昭和51年(1976年。本土復帰4年後)に公正取引委員会は、蕎麦粉を使わない「沖縄そば」という名称にクレームをつけ「そば」と称すべきではないとした。しかし、沖縄製麺協同組合が交渉した結果、特例として「沖縄そば」の表記が認められた[17]経緯がある。なお、沖縄で「(日本)蕎麦」を普通に食べるようになったのは本土復帰後であるとされている。
また飛騨高山においても、普通「そば」と言えばラーメン(高山ラーメン)を指す場合が多く、蕎麦を指す場合はあえて「日本そば」と呼称する。
焼きそばも「そば」という名であるが、蕎麦粉を使わず、小麦粉をアルカリ水溶液で練って作られる。区別が必要な場合、蕎麦粉入りのものを「黒そば」あるいは「和そば」、小麦粉の中華麺を「黄そば」と呼ぶ場合があるが、「生蕎麦(きそば)」は呼び方が似ているため紛らわしい場合もある。
蕎麦麺の分類
製法による分類
大きく分けて人手による手打ち蕎麦と機械製麺に二分されるが、工程によっては手打ち風または手打ち式と名乗る事が出来る。ただし、ここでは便宜的に製麺業における分類に従っているが蕎麦屋には規格がない。
手打ち製麺(手打ちそば)
機械で製麺されるものに対して手作りで製麺される蕎麦。公正競争規約においては混練工程のみ機械で行うことが出来る。手打ち蕎麦を製麺する専門的な技術を習得した者を蕎麦職人(そばしょくにん)と呼ぶことがある。
機械製麺(手打ち風そば/手打ち式そば)
延し工程が単純なロールではなく包丁状の刃により麺が切り出されるなど、手打ちの工程を機械作業に置き換えた製麺機で作られた蕎麦。加水率が手打ちに近く柔らかい傾向がある。
その他の機械製麺
生地を筒状の型に入れ「ところてん/パスタ」のように押し出して製麺する等の工程で作られる製麺機で作られた蕎麦、と「素麺/冷麦」のように延ばしてから切る乾麺の蕎麦。加水率が手打ちより少なめで硬くなる傾向がある。
(参考)生めん類の表示に関する公正競争規約
第4条 (特定事項の表示基準)
生めん類に、次に掲げる文言を使用する場合は、当該各号に掲げる意味により使用するものとする。
(1)「手打」
製めんに際し、原料に加水して麩質(グルテン)が形成するように混練し、熟成させた後、延棒で圧延し、包丁でめん線状に裁断すること及び熟成させた後、手作業によりめん線状に延ばし一定の長さに切断することであって、その工程をすべて手作業により行うことをいう。ただし、混練工程のみ機械で行うことができる。
(2)「手打式」及び「手打風」
製めんに際し、原料に加水して麩質(グルテン)が形成するように混練し、熟成させたのち、めん体の方向が交錯するように緩慢な方法により圧延し、包丁又は手切りに近いうす刃の切刃によって裁断することであって、その工程の全部又は一部を機械作業により行うことをいう。
蕎麦粉割合による分類
蕎麦屋で利用される単位による分類
十割蕎麦(生粉打ちそば)
湯を加えて蕎麦粉のデンプンの糊化を促進し、生地のまとまりをよくする。別途蕎麦粉を糊化させたものをつなぎとして使用する場合もある。その他、微細製粉により手打ち十割蕎麦をつくる方法、押し出し麺により製造する方法、粗挽き蕎麦粉の水練りにより製造する熟練の手打ち製法等がある。十割蕎麦は小麦粉を「つなぎ」に使ったいわゆる二八蕎麦よりも切れやすく、江戸時代には今のように茹でる蕎麦ではなく、蒸籠に乗せて蒸し、そのまま客に供する形の蕎麦が主流だった。現在もメニューに名を連ねている「せいろそば」はその名残である。
二八蕎麦(内二八蕎麦)
蕎麦粉8:小麦粉2で打った蕎麦。名称の由来は粉の割合であるという説、または江戸時代後期に値段が16文であったことから九九の二×八からきたという説がある。名称の起源としてどちらが正しいという決め手はない。
外二八蕎麦
蕎麦粉10:小麦粉2で打った蕎麦の総称。
逆二八蕎麦
立ち食い蕎麦屋、乾めん等を指す。実際に蕎麦粉2:小麦粉8かどうかとは関係なく、自虐的な文脈で使われることがある。
製麺業界における規格による分類
大きく分けて、生めん、乾めん、即席めんの3つの区分ごとに異なる基準が存在する。蕎麦粉の割合が30%を割り込む事によって、名称を変える必要があるもの、割合の表示が必要になるもの、販売できないもの、差はあるが制約が出てくる点は共通している。※ただし、実際の製品には添加物が加わるので誤差が出てくる。
生めんの分類
公正競争規約[18]により定められており、蕎麦粉が30%以上使用されていないものは「そば」と表示できない。
公正マークがついていない商品はこの限りではない。
品質表示基準が存在しないため、公正マーク取得にこだわらなければ制約が低い。
加工食品品質表示基準[19]により、蕎麦粉が5割以上のため原材料が小麦粉、蕎麦粉の順に書かれる。
そば
原料 割合
蕎麦粉 G30.png 30%以上
小麦粉 R50.pngR10.pngR10.png 70%以下
大麦そば
原料 割合
大麦粉 B30.png 30%以上
蕎麦粉 G30.png 30%以上
小麦粉 R30.pngR05.png 40%以下
大麦めん
原料 割合
大麦粉 B30.png 30%以上
蕎麦粉 G30.png 30%以下
小麦粉 R50.pngR10.pngR05.png 70%以下
冷めん/温めん
原料 割合
でん粉 Y10.png 15%以上
小麦粉 R50.pngR30.png 85%以下
蕎麦粉等
(穀粉類) G10.png 小麦粉と合計で85%以下
加工食品品質表示基準により、蕎麦粉が5割以上のため原材料が蕎麦粉、小麦粉の順に書かれる。
特選品
原料 割合
蕎麦粉 G50.png 50%以上
小麦粉 R50.png 50%以下
信州そば/出雲そば
原料 割合
蕎麦粉 G50.png 50%以上
小麦粉 R50.png 50%以下
乾めんの分類
乾めんのJAS規格[20]による任意の格付けのほか、乾めん類の品質表示基準[21]により蕎麦粉が30%以上使用されていないものでも「そば」と表示できる。
蕎麦粉が30%以上使用されていないものは使用割合を表示しなければならない。
JAS規格は任意の格付けなので、現実的に取得している製品は多くない。
乾めん(そば/JAS上級品)
原料 割合
蕎麦粉 G50.png 50%以上
小麦粉 R50.png 50%以下
乾めん(そば/JAS標準品)
原料 割合
蕎麦粉 G30.pngG10.png 40%以上
小麦粉 R50.pngR10.png 60%以下
乾めん(そば/割合表示不要)
原料 割合
蕎麦粉 G30.png 30%以上
小麦粉 R50.pngR10.pngR10.png 70%以下
乾めん(そば/割合表示必須)
原料 割合
蕎麦粉 G30.png 30%以下
小麦粉 R50.pngR10.pngR10.png 70%以上
即席めんの分類
即席めんの品質表示基準[22]、即席めんの公正競争規約[23]により定められ、蕎麦粉が30%以上使用されていないものは「そば」を売れない。
公正マークがついていない商品でも、品質表示基準には従わなければならない。
JAS規格は任意の格付けであるが、即席めんの規格に蕎麦粉割合の規定は存在しない。
即席めん(そば)
原料 割合
蕎麦粉 G30.png 30%以上
小麦粉 R50.pngR10.pngR10.png 70%以下
(参考)蕎麦屋における蕎麦粉割合による分類
いわゆる蕎麦屋にも任意登録の品質基準に蕎麦粉割合の規定が存在する[24][25][26]が、登録料が必要な点と蕎麦打ちの能力とは異なるマネジメント能力が必要になる点からか普及していない[27]。
標準営業約款登録店
原料 割合
蕎麦粉 G50.pngG10.pngG10.png 70%以上
つなぎ R30.png 30%以下
めん類飲食店営業に関する標準営業約款規程集[28]
第3条 (役務の内容又は商品の品質の表示の適正化に関する事項)
営業者は、提供する役務の内容又は商品の品質について、
次の各号に定めるところに従い表示するものとする。
(1) そば粉の含有率の表示
営業者が提供する「そば」は、そば粉の割合は70パーセント以上とし、
その旨を店頭又は店内に表示するものとする。
(2) めん及びつゆの製法の表示
営業者が提供するめん及びつゆは、自家製であることとし、
その旨を店頭又は店内に表示するものとする。
(3) 主要な商品の表示
営業者は、主要な商品の内容及びカロリーを、写真又は説明文による
メニュー表等により、店頭又は店内に表示するものとする。
(4) 調理師の表示
営業者は、調理師(調理師法(昭和33年法律第147号)第2条に規定する者をいう。)
を営業施設に配置するものとし、その氏名を店内に表示するものとする。
蕎麦粉の種類による分類
更科蕎麦(さらしなそば)
ソバの実を挽くと中心から挽かれて出てくることから、後から出てくる粉に比べて、最初に出てくる一番粉が白く上品な香りを持つ。一番粉を使用した蕎麦が「更科蕎麦」である。東京などでよく食べられる。粘りがなく、つなぎをよく使う。
田舎蕎麦(いなかそば)
蕎麦殻を挽き込んだ、黒っぽい蕎麦粉により製造された蕎麦。蕎麦の香りが強く、あまりつゆをつけずに食べる。長野県や愛知県、近畿、山村でよく食べられる。つなぎに山芋などを使う。
藪系の蕎麦
抜き実の挽きぐるみ、つまり緑色の甘皮部分を挽き込んだ鶯色の蕎麦。種皮の緑色が鮮やかな「藪」系の蕎麦はその香りが高い。
蕎麦粉の「産地」(日本国内・世界)による分類
信州開田高原産・北海道産・北米産・中国産など、蕎麦粉の産地・地方・国の違い等で区分。
ソバ品種による分類
蕎麦粉の原料はソバが通常であるが、2000年代以降は健康ブームで注目されているダッタンソバが用いられることもある。
麺の状態による分類
生麺(なまめん)・生そば(なまそば)
そばを切った後に、打ち粉をまぶした状態で、紙包みやポリ袋、プラスチック容器などに入れて売られる。後述の生蕎麦(きそば)とは異なる。
ゆで麺・ゆでそば
生麺を茹でて、食べられる状態にし、ポリ袋に入れて売られる。ネギ、わさびなどの薬味やつゆやだしと共にプラスチック容器に入れて売られる場合もある。天婦羅や油揚げを添付したものもある。
乾麺(かんめん)・乾そば
そばを風で乾かして、一定の長さの棒状に切り揃え、包装して売られる。
冷凍麺・冷凍そば
長期保存が利くように冷凍されている麺。茹でる時間も短時間で済む。業務用での流通が多い。また最近では1人前などの分量でスーパーマーケットやコンビニエンスストアで売られており、つゆ・だしとセットにしたものもある。
インスタント麺・インスタントそば
カップ麺・カップそば・インスタント袋そばなどがある。
油で揚げて熱湯で戻るように加工されている油揚げ麺[29]と、加熱後油で揚げず熱風乾燥させたノンフライ麺[30]がある。麺の表面に味をつけているものもある[29]。
その他の分類
新蕎麦(しんそば)
秋に収穫されたソバの実を使用して、秋から冬の初頭にかけて作られた旬の蕎麦は、香りが高く、味も格別であることから新蕎麦または秋新(あきしん)と呼び、初夏から夏に収穫されたソバの実で作られた蕎麦は、秋新と類別して夏新(なつしん)と呼ぶ(ソバ#日本での栽培も参照)。夏新は新蕎麦(秋新)と比較して香りと味がやや劣るとされるが、そもそも蕎麦にとって夏は”夏蕎麦は犬さえ食わぬ”というような諺が示すように栽培技術や冷蔵技術が発達していなかった時代、端境期で保存状態も悪いため香りが抜けてつなぎの割合が増加傾向になる最も劣化する季節であった[31][32]。そこで、収穫したばかりの鮮度の高い粉を使い出来るだけ生粉打ちに近い蕎麦を提供するための工夫をしていると成分表示として謳っているのが夏新であり、秋新に匹敵するという意味はない。同じ季節に競合して提供しないものを比較する事は本質的に意味がない。さらに季節毎の品質のバラつきを抑えるための手段として、日本と気候の正反対のオーストラリアで栽培して春に収穫された蕎麦粉を用いて維持に務める店もあるほどである。秋の風物詩としての秋新の価値は変わるものではないが、そうした努力と技術革新により昔ほど品質のバラつきがなくなっているため、いざ新蕎麦を食べたときに拍子抜けする事があっても不思議ではない。製粉工程の乾燥が強すぎた蕎麦粉や、管理が悪く乾燥した蕎麦粉では秋新であっても低いレベルで品質がバラつかない事も考えられる。
陳蕎麦(ひねそば)
新蕎麦とは正反対の旬が過ぎてから端境期までの蕎麦が、栽培技術や冷蔵技術が発達していなかった時代に名付けられた。陳には「劣る、古い」という意味がある。ところが冷蔵技術の発達した昨今では、玄ソバの保存技術の革新により熟成された蕎麦として新蕎麦よりも評価する流れもあるが、もともと江戸時代の記録に「暑中寒晒蕎麦」という将軍家に諏訪の高島藩と伊那の高遠藩の2藩が献上していた夏の土用に食べる特別な蕎麦があり、歴史的にも厳格な管理の下で製造された夏蕎麦は陳蕎麦とは言えない高級品であった事が伺える[33][34]。ちなみに「寒晒し蕎麦」のように水浸漬させた玄ソバはGABA(γ-アミノ酪酸)含有量が増加するという研究結果がある[35][36]。三輪素麺では、2年ものを「古(ひね)」、3年物を「大古(おおひね)」と呼び優れたものとして扱っていたが[37]、現代は蕎麦も技術の革新により実需者の意識次第で、蕎麦粉の鮮度を保つための環境が簡単に整えられるため、季節毎の品質のバラつきはなくなり新蕎麦を頂点とした時代の区別が通用しなくなってきている。
詳細は「蕎麦粉#品質管理」を参照
生蕎麦(きそば)
生蕎麦は現在では、二八蕎麦、十割蕎麦、五割蕎麦他の「蕎麦屋の蕎麦全般」を指す[38][39]。蕎麦屋で生蕎麦の語が使われるのは、上等な蕎麦を生蕎麦と呼んでいた頃の名残である。元来は「そば粉だけで打ったそば・そば粉に少量のつなぎを加えただけのそば・小麦粉などの混ぜものが少ないそば」を意味するものだった[40][41][42][43]。しかし、江戸時代中期以降、小麦粉をつなぎとして使用し始めたことにより、二八蕎麦が一般大衆化したため、高級店が品質の良さを強調するキャッチフレーズとして「生蕎麦」を使うようになった[43][44]。その後、幕末頃には「生蕎麦」の指す範囲は拡大し、二八蕎麦にも使われるようになった。現在では、蕎麦粉の割合が明らかに低いと思われる駅前の低価格立ち食い蕎麦店等でも「きそば」のぼりは堂々と掲げられており、その意味は希薄化してしまっている。そのため、蕎麦粉だけの蕎麦を売りにしている蕎麦屋は、分かりやすく表示するため「十割蕎麦」あるいは「生粉打ちそば」という表現を用いるのが一般的である[38]。また「茹でる前の生麺」、「生麺・ゆで麺など水分を多く含んだ麺」いう解釈もあるが、この場合「きそば」ではなく「なまそば(生そば)」と異称される。生蕎麦の看板や暖簾は、現代での変体仮名の用途の代表例として引用されることがある[45]。
蕎麦料理の種類
つけ・ぶっかけ・かけの別のほか、用いる具材によりさまざまに分かれる。主となる具材のある蕎麦料理を特に「種物」と称することがある。

鴨せいろ
ざる蕎麦/盛り蕎麦
Question book-4.svg この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。(2015年6月)

ざる蕎麦寿司セット(せいろに乗っているのがざる蕎麦)

流しそば(鶴岡市)
特別な具材を用いないつけ蕎麦をざる蕎麦ないし盛り蕎麦と称する。2つのメニューが並列する場合、ざる蕎麦のほうがやや高い値段がつけられていることが多い。
元来、ざる蕎麦と盛り蕎麦の区別は、蕎麦の器(容器)の違い(ざる蕎麦は竹ざるに乗せる)と、蕎麦つゆの違い(「ざる蕎麦」は通常よりコクのあるつゆ)だったが、現在では海苔のかかったものを「ざる蕎麦」、かかっていないものを「盛り蕎麦」と呼んで区別している[46]。せいろに乗った蕎麦でも海苔がかかっていればざる蕎麦である。同様にざるに乗っていても海苔がかかっていなければ盛り蕎麦である。
ざる蕎麦の発祥は、深川の州崎弁財天前にあった伊勢屋が、蕎麦を竹ざるに乗せて出したところ評判が良く、大いに売れたことによる[46]。ほかの蕎麦屋がこの手法を真似ることで「ざる蕎麦」が広まった。なお、冷たい蕎麦に刻んだ海苔を散らすようになったのは明治以降である[46]。
盛り蕎麦の「盛り」の語は、現在の掛け蕎麦である「ぶっかけ」の対義語で、元禄時代に流行した「ぶっかけそば」と区別するために汁につけて食べるそばを「もり」と呼ぶようになった[46]。したがって、ざる蕎麦の「ざる」の対義語が「盛り」ではない。
かけ蕎麦/素蕎麦
「かけそば」も参照
特別な具材を加えず、熱い汁をはった蕎麦を指す。
つけ蕎麦
従来のめんつゆや肉南蛮にみられるめんつゆではなく、つけ麺寄りの創作つけ汁と具を用いた蕎麦。高田馬場の「つけ蕎麦安土」が屋号で初めて名乗ったとされる。「肉そばあるいは肉南蛮」と「つけ蕎麦」の分類が非常に曖昧である。肉そばで有名な新橋の「港屋」系の蕎麦屋は「肉そば」、見た目はつけ麺でも麺は「日本蕎麦」なのが「つけ蕎麦」と分類するのが正しい。
きつね蕎麦/冷やしきつね蕎麦
詳細は「きつね (麺類)」を参照

きつねそば(英国ブライトン)
かけ蕎麦で、甘く煮付けた油揚げ(狐の好物とされる)を具とするもの。細切れを載せる地方もある。ぶっかけ蕎麦でも用いられ、特に「冷やしきつね蕎麦」と称することがある。この場合は細切りが多い。
たぬき蕎麦/冷やしたぬき蕎麦
詳細は「たぬき (麺類)」を参照

たぬきそば
かけ蕎麦で、天かす(揚げ玉)を具とするもの。天ぷらのかわりにのせる=「タネ」がない、つまり「タネ抜き」がなまって「たぬき」、あるいは天ぷらの代わりとして「騙す」意味からきた呼び名とされる。ぶっかけ蕎麦でも用いられ、特に「冷やしたぬき蕎麦」と称することがある。
天ぷら蕎麦/天ざる蕎麦
かけ蕎麦で、天ぷらを具とするもの。江戸中期に貝柱のかき揚げなどを載せたのがはじまりという。エビの天ぷらを載せたものが高級とされ、他の天ぷら蕎麦と区別するため、「上てんぷら蕎麦」「えび天蕎麦」と称することもある。天丼のように雑多な天ぷらを載せたり、東日本ではかき揚げ、西日本では小海老(体長5cm未満)と大きな衣の天ぷらを用いることもある。関東では竹輪を、九州ではさつま揚げを用いることもある。
つけ蕎麦にも天ぷらが添えられ、特に「天ざる蕎麦」ないし「天せいろ蕎麦」と称する。この場合、多くは天ぷらが別の器に盛られ、天ぷらを蕎麦猪口に入れて蕎麦と共に食べるなり、副菜として別々に食べるなり随意に食べられる。
月見蕎麦/冷やし月見蕎麦
詳細は「月見#料理における月見」を参照

月見蕎麦
かけ蕎麦で、生卵をつゆの中に割り入れたもの。黄身を月に見立てる。ぶっかけ蕎麦でも用いられ、特に「冷やし月見蕎麦」と称することがある。この場合、生卵ではなく半熟卵が用いられることも多い。
とろろ(山かけ)蕎麦/冷やしとろろ蕎麦

つけとろろ蕎麦(ざるに乗っているが盛り蕎麦)東京・根津
かけ蕎麦で、山芋や長芋のすりおろしと卵白身をあてたものをかけた蕎麦。うずらの生卵か黄身ものせて供される場合が多い。ぶっかけ蕎麦でも用いられ、特に「冷やしとろろ蕎麦」と称することがある。つけ蕎麦でも用いられ、蕎麦猪口のつゆの中にとろろを入れて食べる。
おろし蕎麦
ぶっかけ蕎麦で、大根おろしを具とするもの。つけ蕎麦でも用いられ、蕎麦猪口のつゆの中に大根おろしを入れて食べる。越前そばが名高い。
南蛮蕎麦

鴨南蛮
かけ蕎麦で、唐辛子・ネギなどを用いて調理したもの。『嬉遊笑覧』に記述がある、文化年間に馬喰町に存在した「笹屋」が元祖とされる[47]。名称の由来は、鴨南蛮を参照。
鴨南蛮
鴨肉の肉を用いたもの。
鳥南蛮
鶏の肉を用いたもの
肉南蛮
牛や豚の肉を用いたもの
カレー南蛮
カレー粉を蕎麦のつゆでのばし片栗粉でとろみをつけた汁をかけたもの。
考案者については以下のようにいくつか説がある[48]。
明治41年(1908年)ごろに麻布の「朝松庵」で発売された。朝松庵はその後、中目黒に移転し、現在に至っている。
明治42年(1909年)に大阪の「東京そば」で発売された。東京そばは、朝松庵二代目の角田酉之介が開いた朝松庵の大阪支店とされる[49]。
天南蛮
通常の天ぷら蕎麦よりネギを多用したもの。天ぷらの分量が減っている場合もある。
山菜蕎麦/冷やし山菜蕎麦
かけ蕎麦で、山菜水煮を具とするもの。ほとんどの場合パックの加工品が用いられる。ぶっかけ蕎麦でも用いられ、特に「冷やし山菜蕎麦」と称することがある。
なめこ蕎麦/冷やしなめこ蕎麦

なめこおろしそば
かけ蕎麦で、ナメコを具とするもの。他のキノコ類を一緒に入れる事が多い。元は山形県内陸部・東北・北関東など天然のなめこが採れる地方にて食されていた、なめこと大根おろし等を具材に用いた蕎麦[50]。ぶっかけ蕎麦でも用いられ、特に「冷やしなめこ蕎麦」と称することがある。
コロッケそば

コロッケ蕎麦
コロッケ蕎麦は浅草にあった「吉田」が出したものを元祖とする[51]。当時のコロッケ蕎麦は蕎麦の上に鶏肉のつくねをのせたもので、今でいうコロッケを乗せたものではない。現在では「吉田」の後を継いだ銀座の「よし田」で元祖コロッケ蕎麦を提供している[52]。
現在ではかけ蕎麦にコロッケをのせたもの。関東近県の立ち食いそばを中心とした安価なそば店で提供されている。他地域での知名度は低かったので、インターネットなどを介して発信されるや、一種のローカルフードとして好奇の視線が注がれた。また、その組み合わせのインパクトが持つ話題性に乗じて即席めんとしても発売されるなどの展開も見せている[53]。 店舗の業態からか、あるいはコロッケの特性からか、作り置きのコロッケが用いられる事が多く、この事が皮肉にもそばにのせた際にコロッケが溶けて崩れてしまうことの防止につながっている。
その他
かしわ蕎麦
かけ蕎麦で、かしわ(鶏)の肉を具とするもの。

身欠きニシンを入れたニシンそば
鰊(にしん)蕎麦
かけ蕎麦で、身欠きニシンを戻して甘辛く味付けした煮物・甘露煮を載せたもの。京都市が発祥とされる蕎麦[50]。北海道の名物でもある。
はらこそば
かけ蕎麦で、生のイクラを具とするもの。盛岡市地域など[50][54]。
おかめ蕎麦
かけ蕎麦で、蒲鉾や青菜(ホウレンソウなど)などを具とするもの。傍目八目から五目より具が多い意味で、また、おかめの顔を模した具材の配置をするからとも言われている。
幕末に江戸の下谷七軒町に存在した太田庵が発祥で、松茸や湯葉、かまぼこ等の具がおかめの顔に見立てて配置されている。現在ではかまぼこ以外の具は省略されるか別の食材に置き換えられることが多い。
しっぽく蕎麦
かけ蕎麦で、数種類の煮込んだ野菜を具とするもの。現在では京都・香川県などで、「しっぽくうどん」の麺を蕎麦に換えたものを指す。元々は寛延年間の江戸で、しっぽくうどんの影響を受けて成立した種もの蕎麦で、おかめ蕎麦の原型とも言われる。古典落語『時そば』の中にも「しっぽく」が出てくるが、現在の関東地方の蕎麦屋には無いことが多い。

けんちんそば
けんちんそば
かけ蕎麦で、けんちん汁を用いたもの[50][55]。
五目蕎麦
花巻蕎麦
かけ蕎麦で、海苔を具とするもの。花巻蕎麦が誕生したのは江戸・安永年間(1772-81)の頃とされる。海苔を「磯の花」として例えた事から名付けられた。『時そば』で「しっぽく」と並んで登場する。
わかめ蕎麦
かけ蕎麦で、切ったワカメを具とするもの。
おぼろ蕎麦
かけ蕎麦で、とろろ昆布を具とするもの。関西地方が中心。
きざみ蕎麦
かけ蕎麦で、煮付けたりせずにそのまま短冊切りにした油揚げ(これを「きざみ」と呼ぶ)を具とするもの。関西地方が中心。
とじ蕎麦
かけ蕎麦で、卵とじを具とするもの。肉類や天ぷらを卵とじにしたものもある。
焼味噌蕎麦
かけ蕎麦で、焼いた味噌をかけるもの。冷蕎麦もある。
しっぽこ蕎麦
キジ肉を入れた温かい蕎麦、長野県佐久地方の郷土料理[56]。
煮こじ蕎麦
長野県佐久地方の郷土料理の「煮こじ」という煮物と信州蕎麦を一緒に食すもので、佐久商工会議所が平成25年に考案した新作料理。温かいタイプや冷たいタイプ、煮こじが麺の上に乗ったものや、様々なものがある[57]。
その他の食べ方

蕎麦掻き
蕎麦掻き(そばがき)
蕎麦粉を熱湯で練ったもの。家庭料理としては種類が多い。
そば焼き
蕎麦でつくる焼きそば。
金麩羅(きんぷら)
衣に卵黄、椿油の他蕎麦粉を用いた高級天麩羅として江戸時代に考案されたが、衣が蕎麦粉で黒くなるため高級感を欠く、との理由で卵黄、椿油のみを使用した天麩羅に移行している店舗もある。
蕎麦衣(そばころも)
蕎麦粉8に対し小麦粉2の割合で作った衣で揚げた天麩羅。野菜や白身魚などに合うとされる。
蕎麦寿司
酢飯の代わりに蕎麦を用いた寿司。
巣篭り蕎麦(すごもりそば)
油で揚げたそばに和風のあんをかけたもの。形態としては皿うどんに近い。
蕎麦餅(そばもち)
蕎麦粉と乾燥させた牛蒡の若葉などを混ぜ、小麦粉をつなぎとして加えた後に練り上げて蒸したもの。葛餅やわらびもちに近い食感の和菓子。
蕎麦饅頭(そばまんじゅう)
皮に蕎麦粉を使用した饅頭で、つなぎにすりおろした長芋を用いたものもある。
蕎麦クッキー(そばクッキー)
小麦粉の代わりに蕎麦粉を用いて作られたクッキー。
蕎麦ボーロ(そばぼうろ)
蕎麦粉を使った球状、または花状の焼き菓子。京都の菓子屋が発明した。数店が元祖争いを行っている。
蕎麦花林糖(そばかりんとう)
小麦粉の代わりに蕎麦粉を用いて作られた花林糖。
蕎麦パン(そばパン)
蕎麦粉と小麦粉を5:1の割合で混ぜて卵1個と砂糖・塩少々を加えて練り上げて卵焼き風に焼いたもの。
蕎麦ソフトクリーム
ソフトクリームに蕎麦茶を加えた香ばしさのあるソフトクリームで夏季に信州地域で販売されている。
ばっと・かっけ・はっと
そば生地を短冊形に切ったもので、大根や豆腐の鍋物に入れたり、ネギやニンニクなどで味付けして食べる、青森・岩手の郷土料理[50]。
蕎麦米雑炊(そばごめぞうすい)
脱穀したソバの実を炊いて雑炊として食べる徳島県の郷土料理。また、ソバの実を吸い物の具として利用する事もある。
世界の蕎麦料理
ソバを麺類に加工して食べる国には、フランス、イタリア、中国、朝鮮半島(北朝鮮・韓国)、ブータン、ネパールなどがある[58]。ただし、麺にする方法は各国、地方で異なり、朝鮮半島の冷麺などのようにところてん式に押し出して作る、イタリアのピッツォッケリのようにのし棒で成形するなどがある。麺ではなく、団子状にしたり、腸詰めとしたり、また調理方法も茹でるのではなく焼いて食すものなどがある。いわゆる日本の蕎麦切りもまた、前述の国々のソバ料理のように独特のものといえる。
イタリア
ピッツォッケリ(そばのパスタ)
イタリア最北部のヴァルテッリーナの郷土料理。蕎麦粉が混合されたパスタ。日本の二八蕎麦とほぼ同じ生地で、見た目はきしめんに似る。チーズやバターのソースで和える。
シャット
そば粉の生地でチーズを包んで揚げた料理。
スロベニア
クラクフカーシャ
そばの実を炒ってオーブンで焼いたおじや料理。
ジガーンツィ
バターを加えて練り上げた、そばがき様のスロベニアの伝統的な農民料理。
フランス

ソーセージのガレット巻き
ガレット(そば粉入りのクレープ)
フランス・ブルターニュ地方の郷土料理。そば粉、ミルク、鶏卵、ビールを攪拌したものを、熱してバターを入れた平なべで焼く。
ロシア・ウクライナ・東欧諸国
ブリヌイ(そば粉入りのパンケーキ)
ロシアとウクライナの料理。スメタナやキャビアをのせて食べる。
カーシャ
そばの実のお粥。
ネパール
ディロ
そばがき様の料理で、カレーのたれなどで食する。
ロティ
無発酵の平たいパン。そば粉を使うものもある。
韓国・北朝鮮
冷麺
蕎麦粉を主原料とすることがある。

メミルムク
メミルムク
朝鮮半島の料理。蕎麦粉を水に浸けて取り出した澱粉で作った、くずもちに似た食品。タレをつけて食べる他、和え物にする。
中国
ヘイロ
内モンゴル地方の押し出し蕎麦。具入りのスープをかけて食べる。
モルンチフ(猫の耳)
練った蕎麦を、ちぎって猫の耳ほどの大きさに伸ばして茹でた料理。具入りのスープをかけて食べる。
蕎麦湯

蕎麦湯の入った湯桶
蕎麦を茹でるのに用いた茹で湯の蕎麦湯(そばゆ)を、浸け麺の蕎麦に添えて湯桶などで飲用に出す。蕎麦湯を残った蕎麦つゆに湯桶から注ぎ入れて割り、最後の締めに飲む。蕎麦を食べ終わる時間を見計らって蕎麦湯の湯桶を時間差で持ってくる店が多いが、蕎麦と同時に持ってくる店もある。蕎麦つゆと割らず蕎麦湯のみを飲む人もいる。残った蕎麦つゆをいったん捨てて、新しい蕎麦つゆと蕎麦湯を割って飲む人もいる。なお、通常温かい蕎麦に蕎麦湯は添えて出されないが江戸そばのように特に濃い蕎麦つゆを飲みたい場合、店によっては注文すれば応じてくれる場合もある。
蕎麦湯の文献上の初出は元禄10年(1697年)の 人見必大による『本朝食鑑』であるとされる。そこに「呼蕎麦切之煮湯稱蕎麦湯而言喫蕎切後不飲此湯必被中傷若雖多食飽脹飲此湯則無害然未試之」(蕎麦切りを食べた後で蕎麦湯を飲まねば病気になる、また過食して腹が飽脹しても蕎麦湯を飲めば害がないというが試したことはない)と伝聞調の記述が見られる。また、寛延4年(1751年)の日新舎友蕎子による『蕎麦全書』の中に「先年所用の事ありて信州諏訪を通る事有り。信濃そばとて名物を聞居ければ、旅宿にてそばを所望せしに、其そば製大きによし。成程名物程の事有り。然るにそば後直に蕎麦湯を出して飲しむ。」という記述がある。そこでは「そば後直に蕎麦湯を飲む時は食するそば直に下腹に落着て、たとえ過食すとも胸透きて腹意大きによろしき物也。」と整腸作用のために飲むと説明されている[59]。直前に「江戸にてはそば切を人に振舞時、そばの後、定って吸物とて豆腐の味噌煮を出す。能麺毒を解すと云伝ふ。」ともあるように、この時代には麺類は毒という考え方が存在していた事も確認できる。また薬膳では蕎麦は涼寒性食品、新舎友蕎子が蕎麦を微寒と記しているほか諺に”蕎麦食ったら 腹あぶれ”というものもあり、冷たい蕎麦を食べた後に温かくする事が病気予防になるとされていた事が伺える。俳句の世界における蕎麦湯は歳時記に冬の季語として紹介されている[60][61]。これは蕎麦切りの茹で湯という副産物ではなく、前述の蕎麦湯の文献上の初出の時代には大変貴重な砂糖と蕎麦粉を溶いた蕎麦がき状のものを指し、和菓子の文脈に近い、似て異なるものであったと考えられる。ただし、こちらの解釈でも体を温めるものという認識があった事は伺える。
医学の発達した現代には文献上に見られる整腸作用のためよりは、冷やしの蕎麦つゆの味覚を楽しむという目的に変っていった。その場合はそのまま飲むには味が濃いので、蕎麦湯で割って飲むことで出汁やかえしの風味を楽しむという理由付けである[62]。しかし、塩分のとりすぎが日本人の高血圧症の原因であると指摘されるようになって以降、蕎麦つゆで割った蕎麦湯の塩分に注意する旨の表示も見られ、蕎麦湯のみを飲む人も増えてきた。そういうことから、蕎麦湯に残った蕎麦の余韻、蕎麦湯そのものを味わう楽しみにも焦点があてられるようになった。名水が有名な地方などでは、ゆで湯の水の味を重視して良質な水をゆで湯に使用して蕎麦粉の濃度は低い蕎麦湯を出す店もある。
蕎麦湯の濃度は、朝の開店直後の店や釜の容量の割に客の入りが安定した予約制のような形態の店では沈殿が少なく蕎麦湯はサラッと薄く、時間帯によって行列の出来るような釜の容量に対して客の入りが飽和しがちな店では茹で湯を交換していると適切な温度の調整が難しく歩留まりが悪くなるためピーク時には濃くなる傾向がある。また初心者の自家製麺にありがちな、加水が不適切で打ち粉が過剰に必要だった蕎麦を茹でた場合には、茹で回数が少なくとも打ち粉が沈殿した蕎麦湯になる。元々蕎麦屋における蕎麦湯は、朝の営業開始から時間が経過して何度も蕎麦が茹であげられた釜に澱粉質などが溶け出して、茹で湯に適さなくなった所で半分交換(半抜き)する際に出来るものであり一人前ごとに濃度の高い蕎麦湯は出来るものでない。ところが、営業時間に関係なくドロッと白濁した濃い蕎麦湯を好む客も多くがサラッと薄い蕎麦湯に文句を言ったり、蕎麦屋の店主が蕎麦湯好きでこだわりが高じて、わざわざゆで湯を煮詰めたり、蕎麦粉や小麦粉を溶かし込んでわざわざ濃い蕎麦湯を作る店もある。
なお、蕎麦湯に水溶性の栄養分が溶け出しているために蕎麦湯を飲むという説[63]があるが、ルチンについては不溶性なので食品添加物としてα-グリコシル-ルチンを加えていない限り蕎麦湯から摂取しようとする方法は現実的ではない[64][65][66]。他の栄養素に関しては、生そばの場合は蕎麦の茹で時間が30-60秒と極めて短く、溶け出す量は限られるので開店直後の蕎麦屋の釜や家庭の鍋から汲み上げた蕎麦湯に溶け出している栄養素には期待できないが、朝の開店から時間が経過した蕎麦屋で半抜きのために釜から汲み上げた濃度の高い蕎麦湯には澱粉質、たんぱく質が蓄積されている。前述のように、サラッと薄い蕎麦湯に文句を言う客のためであるとか店主のこだわりにより蕎麦粉などを溶かし込んでいる場合も結果的には同様の成分になる。冷えた蕎麦を食べた後で澱粉質により葛湯のようにとろみがついた暖かい蕎麦湯を飲む事で体が温まる事も健康に寄与すると考えられる。
酒類を提供している蕎麦屋の一部では、そば焼酎(乙類)を蕎麦湯で割ったものを「蕎麦湯割り」として提供する店がある[67]。家庭などで、そば焼酎の楽しみ方として紹介される場合は、出来上がりを安定させるために蕎麦粉を溶いて作った蕎麦湯が用いられるほか、蕎麦湯に梅干を加える飲み方もある[68]。
蕎麦屋

蕎麦屋店内の例
通常、蕎麦を食わせる店は蕎麦の専門店、もしくは蕎麦とうどんのみを扱う店であることが多く、これを蕎麦屋(そばや)という。蕎麦屋は江戸時代中期ごろから見られる商売で、会席や鰻屋に比べると安価で庶民的とされる。蕎麦が好まれる江戸には特にその数が多く、関東大震災以前は各町内に一軒もしくは二軒の蕎麦屋があるのが普通だった。
蕎麦屋の文献上の記載は、文政12年(1829年)の文政町方書上に蕎麦屋が3軒あったと記載されているうちの1軒が寛永18年(1642年)から店を構えていたとされる。屋台形式の移動店舗は江戸時代後期に書かれた『三省録』・『近世風俗志』・『昔々物語』等に、寛文4年(1664年)に「けんどん蕎麦切」の店が現れたとの記述がある。また、貞享3年(1686年)に江戸幕府より出された夜間の煮売り禁止対象に「うどんや蕎麦切りなどの火を持ち歩く商売」という意味の記載があり、寛文10年(1670年)のお触書には記載が無いことから以降の16年で夜間の屋台販売を代表する存在になっていった事が伺える。これらの屋台形式の蕎麦屋は、時代や業態によって二八蕎麦・夜鷹蕎麦・風鈴蕎麦などとも呼ばれた。
蕎麦屋発祥の年表[69]
西暦 年号 文献 記載
1642 寛永18 文政町方書上(1829/文政12) 「蕎麦を出す店が3軒ある」(うち2店は寛永より営業、大田屋は寛永18年(1642年)には店売りをしていたとされる)
1659 万治2 東海道名所記 「東海道中に4軒のうどん・蕎麦を出す茶屋がある」「京都の遊郭島原の茶屋で饂飩・蕎麦を売っている」
1662 寛文2 洞房語園(1720/享保5) 「寛文2年から後、江戸町二丁目の仁左衛門がけんどん蕎麦を銀目五分で売り始めた」
1664 寛文4 昔々物語(1689/元禄2) 「けんどんうどん・蕎麦切りが出来た」
1676 延宝4 日次紀事 「京都では9月から翌年1月にかけて夜そば売りが行われる」
1686 貞享3 幕府御触書 「蕎麦切りを含む夜中の煮売り禁止」(寛文10年の御触書には蕎麦切りの記載が無い)
1690 元禄3 東海道分間絵図 東海道中に蕎麦切り専門の茶屋が21ヵ所描かれている
1692 元禄5 万買物調方記 「江戸にはけんどん屋(提重)が5軒ある」と記載されている(けんどん箱の上位版が提重)
蕎麦切り自体は、保科正之の高遠そば、仙石政明の出石そば、本山宿における大名への献上記録、将軍家に献上された武鑑の記録などから身分の高い人物でも食べるものになっていた。しかし、江戸時代の蕎麦屋は庶民のための店であり、武家や公家などの間では人目につく蕎麦屋で外食する機会がなかった。有職故実の大家だった伊勢貞丈の『貞丈雑記』にて「古くありし物なれ共、表向などへ出さざる物故、喰様の方式なども記さざるなるべし」と記している。これは、蕎麦切りをマナーで縛るような記述を避けたとも考えられる。ところが『三省録』では「下賎のものは買ひて食ひしが、小身にても御旗本の面々調へて(=買って)食ふことなし、近年いつとなく、調へて食う様には成りたり」と記しており”武士は食わねど高楊枝”さながらに、かつては生活が苦しくとも旗本となれば蕎麦屋で食べることなどなかったが最近では食べるようになったようだと記している。このことから、少なくとも伊勢貞丈の没年である天明4年(1784年)から『三省録』の天保14年(1843年)の版の60年の間には武家も蕎麦屋に来店していたと推測される。武士の意識変化だけではなく、蕎麦屋の店構えにも変化があったためとも考えられる。もっとも『寺坂信行筆記』に元禄15年(1703年)12月14日の赤穂事件の折、集合場所に向かう前に「亀田屋」という店で数名が蕎麦切りを食べたと記されている点から家督や作法を重んじる必要の無い職位の武士・浪人は以前から蕎麦屋に来店したようである。
近代の蕎麦屋には、蕎麦を中心に品数があまり多くなく酒を飲ませることを念頭においた発展をしている店がある。そのような蕎麦屋の酒を「蕎麦前」と称する。現在でも同程度の蕎麦屋とうどん屋を比べると、出す酒の種類は蕎麦屋のほうが多いのが普通である。主なメニューは、各種の蕎麦や酒のほかに、種物(たねもの)の種だけを酒の肴として供する抜き(ヌキ、天ぷら、かしわ、鴨、卵、など、天ぬきの項も参照)や蒲鉾=「板わさ」、わさび芋、焼海苔、厚焼き玉子、はじかみショウガと味噌、また場合によっては親子丼などの丼ものなど。また店によっては、茹でた蕎麦を油で揚げた揚げ蕎麦が品書きにあることもある。これは箸休め、あるいは乾き物として酒肴にされる。
太平洋戦争以前の蕎麦屋には、蕎麦を食べる以外のさまざまな用途があった。まず、町内の人間が湯の帰りなどに気軽に立ち寄り、蕎麦を手繰ってゆく格式ばったところが無い店である。またその一方で現在の喫茶店のように、家に連れてきにくい客と会ったり、待ち合わせをしたりする場合にも用いられた。たいてい一階が入れこみ、二階が小座敷になっていることが多く、二階は込み入った相談、男女の逢引、大勢での集まりなどにも用いられたという。
戦後はこうした雰囲気も徐々に薄れてきたが、今も静かな雰囲気で風情を楽しむことができる店も存在する。
ウィキメディア・コモンズには、蕎麦屋に関連するカテゴリがあります。
蕎麦屋には出前という宅配サービスを提供している店がある。もとより蕎麦は長時間の持ち運びに適さない食物であるが、むかしは蕎麦屋の数が多く、出前の範囲も比較的狭かったために、蕎麦は店屋物の代表格だった。ちょっとした客





pytalovd.com