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投稿日:2015/07/06 21:20

函館の夜景

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函館市(はこだてし)は、北海道にある市。渡島総合振興局所在地。2004年(平成16年)12月1日に隣接する戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町と合併し、2005年(平成17年)10月1日に中核市へ移行した。
函館市は北海道南端の渡島半島南東部に位置し、天然の良港である函館港によって北海道と本州を結ぶ交通結節点、道南地域の中心都市として発展してきた[2]。
毎年500万人近い観光客が訪れる観光都市となっており[3]、市町村の魅力度ランキング調査で1位にランクインする都市になっている[4]。フランスのタイヤメーカー、ミシュランが発行する旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』では一つ星以上の星が付いている観光地が函館市内に21ある[5]。一方で人口減少が著しく[6]、2014年(平成26年)4月1日から市域のすべてが「過疎地域」に指定されている。

地名の由来
室町時代の1454年(享徳3年)、津軽の豪族河野政通が宇須岸(ウスケシ、アイヌ語で「湾の端」という意味)に館を築き、形が箱に似ていることから「箱館」と呼ばれるようになった[9]。1869年(明治2年)に蝦夷地が北海道となり箱館も「函館」と改称され

箱館は、古くから松前、江差とともに「松前三港」または「蝦夷三湊」と呼ばれるなど天然の良港として知られてきたところで[16]、海産物交易の集積地として栄えてきた[16]。1799年(寛政11年)、江戸幕府はロシアの南下に対して蝦夷地を直轄領とし、箱館に奉行所が置かれることになった[16]。
1854年(安政元年)、日米和親条約の締結により幕府は箱館と下田の開港を決定、1859年(安政6年)には長崎、横浜とともに日本国内初となる対外貿易港として開港した[16]。当初は箱館でも出島方式の外国人居留地が計画されたが失敗に終わって市中に混在することになり[16]、それが異国情緒豊かな街並みとして残り現在に至っている[16]。明治時代になると箱館から「函館」へ改称して開拓使函館支庁が置かれ、函館県庁、北海道函館支庁と変遷していき、周辺には外国公館や公会堂が建ち並んでいった[16]。
函館のまちはしばしば大火に見舞われているが[17]、1878年(明治11年)と1879年(明治12年)に起こった大火による復興のための市区改正事業により、幅員20間の防火線街路として二十間坂と基坂を拡幅し、幅員6間や12間の街路が直通して矩形の街路が誕生した[16]。1907年(明治40年)、1921年(大正10年)大火後の復興では、1階が和風建築で2階が洋風建築の和洋折衷建築が多く建てられ、函館の特徴的な景観になっている[18]。
1905年(明治38年)に調印されたポーツマス条約によって日本が北緯50度以南の樺太を獲得し、ロシアが日本海、オホーツク海、ベーリング海の漁業権を許与すると[19]、昭和の戦前期にかけて北洋漁業基地として最盛期を迎えた[19]。戦後直後から1952年(昭和27年)まで北洋漁業ができなかったが、その間にイカ釣り漁と加工業が台頭した[20][21]。
北洋漁業の将来に不安のあった函館市は「工業生産都市」への転換を計ろうとするが[22]、オイルショックによって「工業都市化」や「経済開発」重視から市民の「生活環境」重視へと転換していった[22]。特に、函館山の自然保護と歴史的環境を活用した観光政策に大きな力を注いでいった[22]。また、函館の地域特性を活かすため、2003年(平成15年)に「函館国際水産・海洋都市構想」を策定[23]、「マリン・フロンティア科学技術研究特区」として構造改革特別区域に認定されるなど、産学官の連携強化による新たな都市形成を目指している





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