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投稿日:2015/07/21 17:35

東京駅

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東京駅(とうきょうえき)は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。
東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっている。また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもある。プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当する。赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。「関東の駅百選」認定駅でもある。
乗り入れ路線[編集]

東京駅とその周辺駅の位置関係[1]

当駅周辺のJR在来線の線路名称と運転系統
当駅にはJRの新幹線と在来線各線(後述)、東京メトロの丸ノ内線が乗り入れている。丸ノ内線の駅には「M 17」の駅番号が与えられている。また、当駅を発着するJR線と東京メトロ大手町駅間との連絡運輸は東西線のみ行われている[2]。
JRの駅に乗り入れている路線は、正式な路線名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている[3]。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線がJR東日本となっている。これら各路線はすべて当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし旅客案内では後述の運転系統名称が使用される。案内上の「東北(本)線」は長・中距離列車を意味し、それらはかつて上野駅発着であったため、当駅では用いられていなかった。現在は上野東京ラインが開業し、特に東海道新幹線における車内放送の乗り換え案内を中心に使われるようになった。なお中央本線についてもかつては当駅が正式な起点であったが、当駅 - 神田間における東北本線との二重戸籍区間を解消するため、JRへの移行に伴い中央本線は神田駅が起点とされた。ただし、現在でも0キロポストは設置されている。
運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。
東北新幹線
上越新幹線 : 大宮駅から東北新幹線に乗り入れている。
北陸新幹線 : 高崎駅 - 大宮駅間は上越新幹線に、大宮駅からは東北新幹線に乗り入れている。
山形新幹線 : 新庄駅 - 福島駅間は奥羽本線を走行し、福島駅から東北新幹線に乗り入れている。
秋田新幹線 : 秋田駅 - 大曲駅間は奥羽本線を、大曲駅 - 盛岡駅間は田沢湖線をそれぞれ走行し、盛岡駅から東北新幹線に乗り入れている。
また在来線に関しても多岐にわたる運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち、京葉線と武蔵野線が同一の線路を共有している以外は、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。
東海道線・宇都宮線・高崎線・常磐線 : 東海道本線と東北本線の列車線を走行する中距離電車および特急列車。長い間、当駅は東海道本線列車線の起点であったが、2015年3月14日より、新設された上野駅からの東北本線列車線が直結し、「上野東京ライン」の運転系統として、多くの列車が東北本線列車線を走行する宇都宮線・高崎線・常磐線へ直通運転をするようになった[※ 1]。
京浜東北線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する近距離電車。
山手線 : 東海道本線・東北本線の電車線を走行する環状路線。品川駅 - 新宿駅 - 田端駅では線路名称上の山手線を走行する。
中央線 : 中央本線の近距離電車[※ 2]。神田駅から東北本線の専用線を経由して当駅に発着する。
横須賀線・総武快速線 : 両線で直通運転を実施している。当駅以南は東海道本線地下線と支線(品鶴線)を経て大船駅から横須賀線に直通、当駅以東は総武本線を走行する。
京葉線
武蔵野線 : 西船橋駅より京葉線を介して当駅まで直通運転を実施している。
JRでは当駅を「中央駅」と位置付けており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅 - 神田間は戸籍上東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201km以上、後者:101 - 200km)。
中央駅としての位置付け[編集]
1889年に国鉄東海道本線の新橋 - 神戸間が全通し、私鉄の日本鉄道が上野を始発駅として青森に向けて線路を建設していた。そこで、新橋と上野を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。実際の建設は日清戦争と日露戦争の影響で遅れ、建設工事は戦争終了後の1908年から本格化し、1914年12月18日に完成し、同時に「東京駅」と命名された。
建設当時の東京駅[編集]
当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設された。皇居の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けであった。なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していなかった。
駅本屋は、辰野金吾と葛西萬司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り3階建て総建坪9,545m²・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築である。1914年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋して皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、1988年以降に藤森照信らを始めとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されている。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。
(以降は歴史・年表を参照のこと)
将来の計画[編集]
2016年3月に一部開業が予定されている北海道新幹線は、東北新幹線を介して当駅まで乗り入れる計画になっている。
首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスが大深度地下を利用して秋葉原駅から当駅に乗り入れる計画がある。駅は丸の内ビルディング直下に建設される予定である。同線は1985年に当時の運輸省運輸政策審議会答申第7号が当駅起点での整備を求めながらも、採算面の問題で秋葉原駅始発へ変更された経緯がある。
大深度地下利用による京葉線の新宿駅経由三鷹駅までの延伸を行い、中央線と直通運転させる延長線をともに2015年までに整備着手するのが適当であるとした。(運輸政策審議会答申第18号による)
京成押上線と京急線をつなぐ浅草線短絡新線により、成田空港から30分台、羽田空港から20分台のアクセスを実現させる構想がある。この構想では京急と京成の通勤電車も乗り入れるとしている。東京駅の設置場所は、丸の内仲通りの直下が有力である[4]。
現在、浜松町駅止まりとなっている東京モノレールを新橋駅か東京駅へ延伸する計画がある。完成すれば成田エクスプレスとの乗り換えが便利になり、羽田・成田両空港間の(JR線での)移動時間が短縮される。JR東日本が東京モノレールを子会社化した後、2010年から本格的な検討を始めた。しかし、東京駅への延伸は新橋駅への延伸と比べると、資金面では1000億円超となる上、工期も長くなってしまう[5]。
「東京モノレール羽田空港線#今後の予定」を参照
歴史[編集]
詳細は「東京駅の歴史」を参照
完成[編集]

竣工当時の東京駅(前庭より)
1889年(明治22年)に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。
日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年(大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居(宮城)の正面の原野に設定され、「東京駅」と名付けられた。
発展[編集]

関東大震災直後、尋ね人のビラが貼られた東京駅警備巡査派出所(1968年、解体。1972年、博物館明治村に移築)

丸の内側正面前で敬礼するヒトラーユーゲントの隊員(1938年)
1919年(大正8年)3月1日に中央本線が、1925年(大正14年)11月1日に東北本線が乗り入れ、1929年(昭和4年)12月16日には東側の八重洲口が開設するなど、徐々に発展していった。
1923年には関東大震災で被災したものの大きな被害はなく、1935年と1940年の満州国皇帝の溥儀の来日においては昭和天皇が出迎えに来たほか、チャーリー・チャップリンの東京来訪や、1938年のヒトラーユーゲントの来日などにおいては東京の玄関口として機能した。
戦災と復興[編集]

空襲で焼失した東京駅の全景(1945年)
しかし、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。
同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年(昭和22年)にかけて修復工事を行ったので、ほぼ現在の外観になった。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更[※ 3]、といった内容だった。
できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事だったが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鉄道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられている[6]。
一方、1929年(昭和4年)12月16日には八重洲口が開設された。1948年(昭和23年)11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌1949年(昭和24年)4月29日に失火で焼失してしまい、1954年(昭和29年)10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成した。八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになってゆくが、丸の内側はレンガ造りのままである。
現在[編集]
1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業し、1972年(昭和47年)7月15日には総武地下ホーム、1990年(平成2年)3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年(平成3年)6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきた。
その後、長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなった。復原工事自体は、2007年(平成19年)5月30日に起工され、2012年(平成24年)10月1日に完成した。
駅構造[編集]
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、1987年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。ここでは会社別に解説する。
JR東日本[編集]
JR東日本 東京駅
22.23番線(2009年7月)
22.23番線(2009年7月)
とうきょう - Tōkyō
所在地 東京都千代田区丸の内一丁目9-1
北緯35度40分52秒
東経139度46分0秒座標: 北緯35度40分52秒 東経139度46分0秒
所属事業者 JR logo (east).svg東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 トウ
駅構造 高架駅・地下駅
ホーム 2面4線(新幹線)
5面10線(在来線・高架)
2面4線(在来線・総武地下)
2面4線(在来線・京葉地下)
乗車人員
-統計年度- 418,184人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1914年(大正3年)12月20日
乗入路線 13 (5*) 路線
所属路線 ■東北新幹線
■山形新幹線[* 1]
■秋田新幹線[* 1]
■上越新幹線[* 1]
■北陸新幹線[* 1]
キロ程 0.0km(東京起点)
(3.6km) 上野►
所属路線 ■東海道線[* 2]
■宇都宮線[* 3]・高崎線[* 3]
■■常磐線[* 3]
(■上野東京ライン)
キロ程 0.0km(東京起点)
◄上野 (3.6km)(1.9km) 新橋►
所属路線 ■京浜東北線[* 4]
■山手線[* 4]
キロ程 0.0km(東京起点)
大宮から30.3km
◄神田 (1.3km)(0.8km) 有楽町►
所属路線 ■中央線
キロ程 0.0km(東京起点)
(1.3km) 神田►
所属路線
■総武線(快速)[* 5]
■横須賀線[* 2]
キロ程 0.0km(東京起点)
◄新日本橋 (1.3km)(1.9km) 新橋►
所属路線 ■京葉線
(■武蔵野線直通含む)
キロ程 0.0km(東京起点)
(1.2km) 八丁堀►
備考 みどりの窓口 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅(中心駅)
^ a b c d 正式な路線名称は東北新幹線
^ a b 正式な路線名称は東海道本線
^ a b c 正式な路線名称は東北本線
^ a b 有楽町方面は東海道本線、神田方面は東北本線
^ 正式な路線名称は総武本線
* 書類上の乗り入れ路線数
東海道線と宇都宮線・高崎線・常磐線は直通運転実施
総武線(快速)と横須賀線は直通運転実施
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JR東日本の駅は各路線の線路とホームが南北方向に伸びているが、地下の京葉線ホームのみ東西方向に伸びている。出入口は東西南北に設けられており、西側を丸の内口、東側を八重洲口、北東側を日本橋口、南側を京葉地下出口と称している。
東西の駅舎を連絡する改札内通路は北・中央・南の3本があり、それぞれの通路に対応して丸の内側・八重洲側それぞれの地上に3か所の改札口がある。丸の内側の地下3か所と八重洲中央口の地下にも改札口があり、丸の内側は東京メトロ丸ノ内線や丸ビル・新丸ビル方面へ、八重洲側は八重洲地下街方面へ通じる。
このほか、新幹線の日本橋改札などがある。また、改札内通路の他に北口通路に隣接し東西の駅舎をつなぐ自由通路(1階・地下1階)がある。なお、南口にも東西の駅舎をつなぐ通路があるが、こちらは通行する人が限られている。
新幹線乗換口(中央・南とも。乗換窓口・精算所業務を含む)、丸の内地下北口、京葉地下丸の内口、日本橋口の業務はJR東日本ステーションサービスに委託している。
在来線の構内は非常に広い。1階は改札内商業施設が充実している。長年、地下1階はコインロッカーが多く商業施設が少なかったが、2007年10月25日にJR東日本の商業施設「グランスタ」がオープンしたことにより人通りが爆発的に増えた。これに併せて待ち合わせ場所として有名なスポットであった「銀の鈴」のリニューアルが行われ、1階と地下1階を結ぶエスカレータが新設された。
対して、新幹線の構内はあまり広くなく、商業施設はホーム上にほぼ限られている。方面案内は以前は在来各線のフォーマットと同様の路線色(緑)バックに「番線数字・路線名・方面」が表記されたものだったが、2005年12月10日のダイヤ改正で行先に関わらず20 - 23番線を柔軟に用いるようになると番線数字のみに交換され、同時に改札・ホームともにお知らせ表示機はフルカラーLED式に到着案内は液晶ディスプレイ式に発車標は全面的にフルカラーLED(一部は液晶ディスプレイ)による「列車名・発車時刻・行先・次の列車・停車駅と現在時刻(LEDとアナログ混在)」を表示するものに置き換えられた[※ 4]。
駅コンコースにはJR東日本の管轄エリアも多く、それらの店舗やレストランなどでは電子マネーとして、Suicaおよびこれと相互利用可能な交通系ICカードが利用できる。

丸の内口の駅名標
(2007年5月18日)



南通路
(2006年1月13日)



南北通路
(2007年9月27日)



午前2時の中央通路
(東京駅ミッドナイトツアー、2014年10月2日)



丸の内地下通路
(2005年3月29日)



南北ドーム内のレリーフ
(2012年10月4日)

のりば[編集]
在来線地上ホーム(1 - 10番線)
島式5面10線の高架ホームで、丸の内側から1・2・3…と順に振られている。中央線の1・2番線は3・4番線のさらに上、3階相当の高さにあり、2番線の直下に3番線がある。1・2番線はホームの両端は階段、それ以外は長いエスカレータとホーム中央にあるエレベーターでコンコースと結んでいるが9・10番線のエレベーターのみ地下1階まで結んでいる。エレベーターは南側にも設置されているが、こちらは業務用のエレベーターで係員の付き添いがないと利用することができない。9・10番線は南側のエレベーターが2つ設置されている。
5・6番線には、開業当時からの面影を残す柱が設置されている。また、一部の屋根と柱は木造である。2014年度に改修工事を行い老朽化が進む開業時からの柱14本を含む約103m分を新しい屋根に置換える[7]。
山手線ホームの階段付近には2006年末頃から方面案内が設置され、同時に出口・乗り換え案内も設置された。
1・2番線の発車標は路線図(停車駅案内)と一体化したものが使用されている。
1・2番線には中央ライナー・青梅ライナーのライナー券と特急「あずさ」号・特急「かいじ」号の自由席特急券の自動券売機が設置され、7 - 10番線にはSuicaグリーン券と特急「踊り子」号の自由席特急券(9・10番線のみ)の自動券売機が設置され、9・10番線には湘南ライナーの普通車のライナー券の自動券売機が設置されている。このライナー券の自動券売機は品川駅などと同様、500円以上の現金を投入すると自動で発券し、また、発車1分前に販売を終了する。ライナー券の自動券売機はSuica等の交通系ICカードは使えない。
発車メロディーは、1番線が「JR-SH1」、2番線が「JR-SH2-1」、3・6番線が「JR-SH5」、4・5番線が「JR-SH3-1」、9・10番線が「ドリームパーク」となっている。7・8番線は発車ベルである。なお、3~6番線の発車メロディーは4ターンで1コーラスとなり(1コーラスは29秒ほど)、東京駅オリジナルとなっている。

1・2番線(中央線)
(2008年11月22日)



1番線の0キロポスト
(2005年2月)



7・8番線(東海道線)
(2006年1月13日)

新幹線ホーム(20 - 23番線)
島式2面4線の高架ホームである。このうち20番線は10番線のすぐ東にある。当初、東北・上越新幹線が当駅に延伸した際は現22・23番線(当時12・13番線)の島式1面2線のみで発着し、一部の定期列車と臨時列車は上野駅発着を原則としていた。しかし、1997年の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い1・2番線を高架化した上で3 - 10番線を丸の内側にスライドする工事を行い、当時9・10番線(東海道線)だったホームを20・21番線とし、現在の2面4線の構造になるとともに定期列車の全列車と臨時列車の大半が当駅発着になった。1日300本を超える列車をこの2面4線ホームで扱っている。
各ホームに中央改札と各ホームを結ぶエレベーターが8号車付近に設置されている。またホームの中央には荷物運搬用のエレベーター(リフト)も設置されている。
10番線の隣りに20 - 23番線と変則的な番線数になってしまったのは、東海道新幹線(14 - 19番線)がJR東海の管轄であることにより、通し番号にするのが困難であったためである[8]。
直接改札内に入れる改札口は八重洲北側の日本橋口改札口のみ。
前述のとおり発車標は2005年に交換され、それと同時に液晶ディスプレイ式の編成案内が改札前などに設置された。その他各ホームに乗車案内として、東京延伸開業時からLED式乗車位置案内表示器が設置され現在は全て薄型のものに交換されている。

20番線ホーム(2012年10月4日)



22・23番線ホーム(2011年1月10日)



発車標(2011年1月10日)

総武地下ホーム(総武地下1 - 4番線)(地図)
島式2面4線の地下ホームで、地下5階に位置する。中央通路を丸の内側へずっと向かった階段の先にのりばがあり、東京メトロ丸ノ内線との乗り換えは比較的近いが、京葉線との改札内乗り換えは非常に遠い。このホームと下記の京葉地下ホームは地上・高架ホームとは番線番号が通しではない。ホームへはエレベーターまたは長いエスカレーターを使用することになる。客用エレベーターは1・2番線には枕木方向に2台、3・4番線には線路方向に1台のみ設置されているが3・4番線のエレベーターは地下4階(総武地下通路)までしか行かないため地下1階まで行く場合は地下4階で1・2番線のエレベーターまたはエスカレーターに乗り換える必要がある。また、各ホームの両端に業務用のエレベーターがある。
各ホームにはSuicaグリーン券の自動販売機が設置されている。
ホームがある東京トンネルの区間の保安設備は2004年2月29日にATC-5型からATS-Pに更新されている。ATS-P対応車両であればこの地下ホームへの発着が可能である。
このホームは構造上、#地下水上昇問題がある。
発車メロディーは、1・2番線が「JR-SH2」、3・4番線が「JR-SH5」となっている。

総武地下通路(2007年9月27日)



総武地下ホームは1 - 4番線(2007年9月27日)

京葉地下ホーム(京葉地下1 - 4番線)(地図)
島式2面4線の地下ホームで、地下4階に位置する。新幹線八重洲南乗り換え口脇から南に約500mの所、鍛冶橋通りの地下(有楽町駅との中間点)にあり、ホームは東西に伸びる。地下3階には総武地下通路のように通路があり、皇居よりの都道402号地下では横須賀線シールドトンネルが駅躯体を横断する。エレベーターは1・2番線と3・4番線にそれぞれ1台設置されている。総武地下ホームのエレベーターとは異なり両方ともホームまで直通する。また両方とも地下3階でも乗降が可能。
この位置にはもともと、成田新幹線用の駅が計画されていた。他の乗り場から南に大きく離れたこの位置が選ばれたのは、将来的に新宿方面への延長をにらんだものであった。しかし成田新幹線は、沿線住民の反対運動によって計画が頓挫し、東京駅構内では東北新幹線の高架橋を造る工事に合わせて、現在京葉線への乗り換え通路として使われている通路が建設されただけで、乗り場部分の実際の掘削工事は行われなかった。現行のプラットホームなどがある地下部分は、京葉線に転用されることが決まってから新たに工事されたものであり[9]、設計も在来線用に1から異なった設計がされており建設予定位置以外の共通点は存在しない。
他のホームから離れていることから八重洲口側に動く歩道が設置され、その両端にエスカレータとエレベーターが設置されている。
発車メロディーは全番線「Verde Rayo V2」となっている。

京葉地下通路(2007年7月15日)



京葉線のりば(2007年7月15日)



京葉線ホーム(2007年7月15日)



車止め側の長時間露光(2013年)

以上のように、高架、地上、地下の全ホームを合わせて11面22線のホームがあり、JR東日本の駅では最多のホーム数である。
JR東京駅プラットホーム
番線 路線 方向 行先
在来線 地上ホーム
1・2 ■中央線 下り 御茶ノ水・新宿・立川方面
□特急「(スーパー)あずさ」「かいじ」
3 ■京浜東北線 北行 上野・大宮方面
4 ■山手線 内回り 上野・池袋方面
5 外回り 品川・渋谷方面
6 ■京浜東北線 南行 蒲田・関内方面
7・8 ■上野東京ライン
(■宇都宮・■高崎・■■常磐線) 下り
(北行) 上野・大宮・宇都宮・高崎・水戸方面
□常磐線特急「ひたち」・「ときわ」
9・10 ■東海道線
(■上野東京ライン) 下り
(南行) 品川・横浜・小田原・熱海・伊東方面(一部当駅始発7・8番線)
□特急「(スーパービュー)踊り子」、
□寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」は9番線発車
JR東日本 新幹線ホーム
20 - 23 ■ 東北・山形・秋田新幹線 下り 仙台・盛岡・新青森・山形・新庄・秋田方面
■ 上越・北陸(長野経由)新幹線 高崎・長岡・新潟・長野・富山・金沢方面
総武地下ホーム
1・2 ■横須賀線 下り 横浜・大船・鎌倉・逗子・横須賀・久里浜方面(一部始発3・4番線)
□特急「しおさい」「成田エクスプレス」
3・4 ■総武線(快速) 錦糸町・船橋・津田沼・千葉・成田空港方面(一部始発1・2番線)
□特急「成田エクスプレス」
京葉地下ホーム
1 - 4 ■京葉線・■武蔵野線 - 舞浜・海浜幕張・蘇我・西船橋方面
(□特急「さざなみ」「わかしお」は1・2番線発着)
本項では常磐線のラインカラーを■■、上野東京ラインのラインカラーを■で示しているが実際のホーム案内はすべて■のみで案内されている。
7・8番線から発車する東海道線の列車は、夜間の平日2本・土休日1本のみである。7・8番線の現地標識は上野東京ラインと東海道線が併記されていたが、利用者の混乱防止のため、現在は階段付近の標識はテープで「東海道線」の表記を隠してある。
配線図
JR東日本 東京駅総武地下ホーム 鉄道配線略図

錦糸町・千葉
・成田空港・
蘇我 方面 JR東日本 東京駅総武地下ホーム 鉄道配線略図 →
横浜・大船・
久里浜 方面
凡例
出典:
* 以下を参考に作成。
** 祖田圭介、「特集 旅客ターミナル構内配線図鑑」、電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』、第60巻1号(通巻第828号)
2010年1月号「【特集】旅客ターミナル」、 20頁、「図1-1 東京駅の配線」。

JR東海[編集]
JR東海 東京駅
八重洲中央口改札口(2005年、改装前)
八重洲中央口改札口(2005年、改装前)
とうきょう - Tōkyō
(6.8km) 品川►
所在地 東京都千代田区丸の内一丁目9-1
北緯35度40分52秒
東経139度46分0秒座標: 北緯35度40分52秒 東経139度46分0秒
所属事業者 JR logo (central).svg東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 ■東海道新幹線
キロ程 0.0km(東京起点)
電報略号 トウ
駅構造 高架駅
ホーム 3面6線
乗車人員
-統計年度- 93,354人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1964年(昭和39年)10月1日
備考 駅長配置駅(管理駅)
みどりの窓口 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅(中心駅)
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18、19番ホーム南端にある十河信二の記念碑 JR東海駅名標
18、19番ホーム南端にある十河信二の記念碑
JR東海駅名標
JR東海東海道新幹線はJR東日本の新幹線の隣の東側(八重洲寄り)にあり、その部分は自社管理区域となっていて標識のフォーマット、各種宣伝や広告などもJR東海のものである。
JR東海直営のみどりの窓口はJR東日本のそれとは違い「新幹線・JR全線きっぷうりば」と簡潔な表現で大書されており、相互に発売可能なJR東日本と競争している。JR東海系列の東海キヨスクの店舗もある。
専用改札口は八重洲改札と、JR東日本の新幹線と並んで設置されている日本橋改札他全部で5か所がある。丸の内側からはJR東日本の在来線改札内経由(中間改札)で改札内に入れる。八重洲口を含めた出口・駅舎はJR東日本の所有のものを共同使用する形となっている。また一部の改札口には自動改札機が設置されていない。
新幹線中央乗換口、新幹線南乗換口ともに窓口業務を含めて新幹線メンテナンス東海に委託している。
商業施設はホーム上にほぼ限られているが、2006年2月22日のJR東海社長の定例会見で「新幹線改札口を5か所から6か所に増やす」「内装や外装を全面的にリニューアルする」などの旨を明らかにしている。2012年1月に工事は完了し、2月25日より「八重洲南口改札」として開設した。また、同時に「八重洲中央口改札」の名称が「八重洲中央北口改札」に変更された[10]。
以前は各ホームエレベーターは南に業務用のエレベーターが2台のみ設置され利用する際は係員の付き添いがないと利用できなかったが、現在は新たにホームの中央に客用のエレベーターが1台設置されたため係員の付き添いがなくても利用できる。
構内北端が東京メトロ東西線と地下でつながっている。
のりば[編集]
新幹線ホーム(14 - 19番線)
島式3面6線の高架ホームである。このうち14番線は23番線のすぐ東にある。14・15番線は神田寄りが丸の内側へ湾曲している。前述したが、コンコースでは改良工事が行われている。
14・15番線の神田寄りが大きくカーブしているのは東北・上越新幹線との直通を想定したためであったとされている[11]。
14・15番線では2008年9月17日より、16 - 19番線では2008年12月12日より、「のぞみ」で2003年まで使用されていた車内始発・終着用チャイムが発車メロディとして使用されるようになった。JR東海の発車メロディの導入はこれが初の事例である(313系に搭載されている車外メロディは除く)。
各改札・ホームとも発車標とお知らせ表示機はフルカラーLED式のものが使用されその他フルカラーLED式の乗車位置案内も各ホームに設置されている。改札口上部に掲げてある発車標は、3種別の本数の割合を考慮した「のぞみ」単独の発車案内と「ひかり・こだま」を合わせた発車案内の2台となっている[※ 5]。
ゼロポストの他、記念モニュメントも複数ある。18・19番線の8号車乗車位置付近のホーム中央床面には起点と方位を示すレリーフが、同ホーム南端には十河信二のレリーフと座右の銘「一花開天下春」があしらわれた建設碑が、同ホームの下、中央乗換口(新幹線改札内)の東端壁面には「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と記された銘版がある。
ホームの使用状況
番線 路線 行先
14 - 19 ■ 東海道新幹線 名古屋・新大阪方面
どの種別がどのホームから発車するかはランダムであるが、「のぞみ」「こだま」に関しては下記のような傾向がある。
山陽新幹線直通「のぞみ」:主に16番線。ただし早朝は18番線、日中12・13時台は17番線、夕方は19番線が多い。
新大阪行「のぞみ」:午前中15番線、午後14番線、夕方17番線が中心。
「こだま」:朝方17番線、日中14・18番線、夕方15・16番線が中心。
国鉄・JR線地上ホームの変遷[編集]
以下の表は当駅地上ホームの変遷を記したものである。なお、下表に示す以外に工事等によりホームが一時的に撤去されている場合もある。
時期 第01ホーム 第1ホーム 回送線 第2ホーム 第3ホーム 第4ホーム 第5ホーム 回送線 第6ホーム 第7ホーム 回送線 第8ホーム 第9ホーム
1914年
12月20日 - 未設置 1・2番線
■電車線(山手線) ■回送線 3・4番線
■電車線(京浜線) 5・6番線
■列車線 7・8番線
■列車線 未設置 未設置 未設置 未設置 未設置 未設置 未設置
1919年
3月1日 - 1・2番線
■中央本線
■山手線
1925年
4月26日 - 1・2番線
■中央本線 3・4番線
■京浜線
■山手線 5・6番線
■東海道本線到着
■横須賀線発着 7・8番線
■東海道本線出発
1942年
9月25日 - 7・8番線
■東海道本線 9・10番線
■東海道本線 11・12番線
■回送線
1953年
7月1日 - 9番線
■東海道本線
10番線
使用停止 11・12番線
使用停止 14・15番線
■東海道本線 16番線
■回送線
1953年
9月1日 - 5・6番線
■東海道本線 7・8番線
使用停止 9番線
使用停止
10番線
■東海道本線 11番線
■回送線 12番線
■東海道本線(湘南電車)
13番線
■横須賀線
1953年
11月1日 - 5・6番線
使用停止 9・10番線
■東海道本線
1954年
3月30日 - 3番線
■京浜東北線北行
■山手線内回り
4番線
使用停止 5番線
使用停止
6番線
■京浜東北線南行
■山手線外回り
1954年
4月15日 - 7番線
■常磐線
8番線
使用停止
1956年
5月4日 - 5番線
■京浜東北線南行
■山手線外回り
6番線
使用停止
1956年
11月19日 - 3番線
■京浜東北線北行
4番線
■山手線内回り 5番線
■山手線外回り
6番線
■京浜東北線南行 7番線
■東海道本線
■東北・高崎・常磐線
8番線
■東海道本線
1957年
7月14日 - 廃止
1961年
10月1日 - 7番線
■東海道本線
■東北・高崎・常磐線
8番線
■東海道本線(湘南電車) 12番線
■東海道本線
13番線
■横須賀線
1964年
10月1日 - 17番線
■東海道新幹線 18・19番線
■東海道新幹線
1965年
10月(期日不明) - 廃止
1967年
3月10日 - 16・17番線
■東海道新幹線
1972年
3月15日 - 16・17番線
■東海道・
山陽新幹線 18・19番線
■東海道・
山陽新幹線
1973年
4月1日 - 7・8番線
■東海道本線(湘南電車) 9・10番線
■横須賀線 12・13番線
■東海道本線 廃止
1975年
7月18日 - 15番線
■東海道・
山陽新幹線
1979年
12月1日 - 14・15番線
■東海道・
山陽新幹線
1980年
10月1日 - 7・8番線
■東海道本線 9・10番線
■東海道本線 12番線■東海道本線
13番線
廃止
1988年
3月13日 - 廃止 廃止
1991年
6月20日 - 12・13番線
■東北・上越新幹線
1992年
7月1日 - 12・13番線
■東北・山形・
上越新幹線
1992年
10月4日 - 7番線
■東海道本線
8番線
使用停止
1993年
7月4日 - 7番線
■東海道本線
8番線(仮設)
■東海道本線 9番線
使用停止
10番線
■東海道本線
1994年
4月10日 - 9番線(仮設)
■東海道本線
10番線
廃止
1995年
7月2日 - 1・2番線
■中央本線 旧1・2番線
使用停止
1995年
10月29日 - 3番線
■京浜東北線北行
旧2番線
使用停止 旧3番線
使用停止
4番線
■山手線内回り
1995年
11月5日 - 3番線
■京浜東北線北行
4番線
■山手線内回り 旧3・4番線
使用停止
1995年
12月17日 - 5番線
■山手線外回り
旧4番線
使用停止 旧5番線
使用停止
6番線
■京浜東北線南行
1995年
12月24日 - 5番線
■山手線外回り
6番線
■京浜東北線南行 旧5・6番線
使用停止
1996年
6月23日 - 7・8番線
■東海道本線 9番線
■東海道本線
10番線(仮設)
使用停止 廃止
1997年
3月1日 - 9番線
使用停止
10番線
■東海道本線
1997年
9月7日 - 9・10番線

■東海道本線
1997年
10月1日 - 20・21番線
■上越・長野新幹線 22・23番線
■東北・山形・
秋田新幹線
2005年
12月10日 - 20・21番線
■東北・山形・秋田・
上越・長野新幹線 22・23番線
■東北・山形・秋田・
上越・長野新幹線
2015年
3月14日 - 7・8番線
■上野東京ライン
(■宇都宮・■高崎・■■常磐線)
■東海道本線(一部列車) 20・21番線
■東北・山形・秋田・
上越・北陸(長野経由)新幹線 22・23番線
■東北・山形・秋田・
上越・北陸(長野経由)新幹線
なお、現在のJRのホーム数合計は14面28線となり、単一の駅としてのホーム数では日本一である。
その他[編集]
この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2011年11月)
かつては、中央線2番線(現:山手線内回り4番線)と京浜東北線北行3番線(現:山手線外回り5番線)の間には線路が1本あったが、中央線ホームの拡張により、この線路が2番線(現:4番線)となり、旧2番線は撤去された。この線路は同じく線路のみ存在していた東海道本線の11・16番線とは異なり、番線に数えられていなかった。
1997年の北陸新幹線高崎 - 長野開業に伴い、ホームの移転が行われた。まず1995年7月に中央線ホームを高架ホームに移転し、その後10月 - 12月に山手線・京浜東北線ホームを、1996年6月 - 1997年7月に東海道線ホームをそれぞれ1面ずつ丸の内側に移設した。なお、東海道線ホームの移設の際は、1線を撤去して2面3線化したほか、一時期に9番線が仮設ホームだったことがある。
東海道線ホームが2面3線になってからは、大垣行き夜行普通列車(列車番号375M)が下りに限って品川駅始発に改められた。1996年3月に運行開始した「ムーンライトながら」(373系による定期列車)については、当駅始発・終着とされた。
現在の中央線ホームは、丸の内口駅舎と旧中央線ホーム(現在の京浜東北線北行3番線および山手線内回り4番線)の間のやや狭い敷地内に設置されており、やや3・4番線ホームにせり出している。結果的には丸の内駅舎を取り壊さずに保存できる形となった。
当駅にはJR東日本とJR東海の窓口のほか、丸の内地下中央改札前に北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営する「JR北海道プラザ東京支店」がある。一般の乗車券や特急券のほか、各社のトクトクきっぷを購入することができる。株主優待などJR各社の窓口のみで扱う切符類が発券できない(「沿線の旅行会社」扱いとなる)反面、JR北海道のみで購入可能な切符類を一部を除いて取り扱う。かつては同店においてJR北海道のオレンジカードも販売されていた。
山陽新幹線が博多駅まで延伸してホームを増設するまでは、7・8番線が東北本線・高崎線・常磐線用ホーム、9・10番線が近距離列車用ホーム、11番線が回送線、12・13番線が東海道本線・横須賀線用ホーム、14・15番線が遠距離列車用ホーム、16番線が回送線(後に東海道新幹線に転用)であった。新幹線の開業までは4線ともひっきりなしに列車が発着しており、13番線から15番線を見通すことができなかった。これが重要なトリックとして出てくるのが松本清張の「点と線」である。1960年後半 - 1973年3月31日までは東北本線・高崎線・常磐線の列車は7 - 15番線のうち、どのホームからも発車していた。
上記の通り、在来線は15番線まで存在していたが、1973年4月に第7ホーム(14・15番線)を、1980年に13番線を、1988年3月回送線だった11番線と第6ホームの12番線を、1995年に第5ホーム(9・10番線)をそれぞれ使用停止し、後に新幹線のホーム増設や新設を行った。
2010年度後半を目処に、東海道線ホームに太陽光発電システムを導入させ、現在のホームの屋根を置き換えて屋根上に太陽電池パネルを設置し、駅構内の照明や空調設備の電力源の一部として使用する。将来的にはほかのホームにも設置を検討する。
戦前、鉄道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜東北線の一部と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では、1・2番線が中央線、3番線が京浜東北線北行・山手線内回り、4番線が京浜急行線終着、5・6番線が横須賀線、7番線が京浜急行線始発、8番線が京浜東北線南行・山手線外回り、9 - 12番線が東北本線、13 - 15番線が東海道本線となる予定だった。この計画は対米戦により未成に終ったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。
北陸新幹線の開業に伴って、北陸新幹線用(W7系 白山総合車両所所属)と東海道・山陽新幹線用(700系・N700系 博多総合車両所所属)の2つのJR西日本の新幹線車両が乗り入れることになった。
地下水上昇問題[編集]
当駅は、もともと海に近いこともあり、地下水位が相対的に高く、地下水上昇によるホームの浮上問題にさらされている。特に地下総武線ホームは、丸の内側ロータリー直下にあり、上に建物などの構造物がない(地下水浮力による地下駅部分の浮き上がりを押さえ付けるおもりがない)という構造上の条件から、特に浮上の影響が顕著である。かつての相次ぐ地盤沈下により地下水の汲み上げが条例により禁止されており、このことも地下水位上昇の理由となっている。地下総武ホームではホームが地下5階なのに対し、地下水は地下3階付近まで達している。1999年9月には、浮上防止策として、ホーム階に鉄製おもりを置いたり、アンカーを打ち込む工事が行われた。その後、当駅から品川区の立会川まで導水管が敷設されている。湧出地下水をそのまま下水に流すと下水道料金が課金されるため、支払料金を軽減したいJR東日本と、典型的都市型中小河川で通常は水量が少なく悪臭などを発生する立会川の問題を解決したい東京都の思惑が一致した。東京駅から立会川上流部までの導水管建設費用をJRが負担する代わりに、湧出地下水を立会川に放水することで下水道料金負担がなくなり、結果として水量の増加と悪臭の発生防止が図れるという仕組みである。同様に、上野駅新幹線地下ホームの湧出地下水が、不忍池への導水管により放流されている。

東京ステーションギャラリー(2007年5月18日)



丸の内口と駅前広場(2005年12月18日)

東京メトロ[編集]
東京メトロ 東京駅

とうきょう - Tokyo
◄M 16 銀座 (1.1km)(0.6km) 大手町 M 18►
所在地 東京都千代田区丸の内一丁目6-5
北緯35度40分54秒
東経139度45分53.4秒
駅番号 ○M 17
所属事業者 Tokyo Metro logo.svg 東京地下鉄(東京メトロ)
所属路線 ○ 丸ノ内線
キロ程 8.7km(池袋起点)
電報略号 トウ
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 186,459人/日
-2014年-
開業年月日 1956年(昭和31年)7月20日
テンプレートを表示
丸の内側に位置する島式ホーム1面2線を有する地下駅である。比較的地下浅い所にある。八重洲に出るためには北側自由通路を通ってJR構内を大きく迂回する必要がある。1990年12月半ばに本格的な自動改札機を導入した。1993年11月には、御茶ノ水駅から定期券うりばが移転した。
2008年春に、ホームの側壁に女子美術大学の非常勤講師2名によるデザインのアートウォール「自由に走る丸ノ内線」が設置された。コンセプトは「歴史と自然とトレンドの融合」で、営団500形電車で使われていた銀色のサインウェーブを下部に再現するとともに自由に飛ぶ鳥を随所に設置した。
のりば[編集]
番線 路線 行先
1 M 丸ノ内線 銀座・新宿・荻窪方面
2 大手町・池袋方面

ホーム(2007年10月)

再開発事業[編集]
JR東日本などが主体となって赤レンガ駅舎の復原などを内容とした当駅周辺の大規模な再開発事業が行われている。
この第1弾として2007年(平成19年)3月に日本橋口に超高層ビル「サピアタワー」が竣工した。これと同時に一連の再開発地区が「Tokyo Station City(東京ステーションシティ)」と命名され、キャッチフレーズは「東京駅が、街になる。」に決まった。同年4月には丸の内口の行幸通り地下に「行幸地下通路」が整備され、10月25日には東京駅改札内地下1階に株式会社鉄道会館が運営する改札内商業施設「グランスタ」がオープンした。さらに、同年10月31日には、八重洲口にある大丸などが入居していた1954年(昭和29年)竣工の鉄道会館ビルが閉鎖され、11月6日に超高層ツインタワービル「グラントウキョウ」が竣工した。グラントウキョウノースタワー(国際観光会館ビルの跡地に建設)に大丸が移転し、グラントウキョウサウスタワーの地下に飲食店街「グランアージュ」が整備された。また、八重洲地下街からグラントウキョウサウスタワーとパシフィック・センチュリー・プレイスの地下を経由して京葉線地下改札に至る連続した地下連絡通路が整備された。
2010年(平成22年)3月28日には、駅改札内1階「South Court(サウスコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京メディアコート」の跡地に、JR東日本ステーションリテイリングが運営する「エキュート東京」がオープンし、4月12日には赤レンガ駅舎から皇居まで一直線に続く行幸通りが再整備された上で開通した。さらに同年12月4日には、駅改札内1階「North Court(ノースコート)」にあった改札内商業施設の「Dila東京ダイニングコート」の跡地に、鉄道会館が運営する「グランスタ ダイニング」がオープンした。
鉄道会館ビルが解体された後の2012年(平成24年)8月にグラントウキョウノースタワー第2期工事が竣工、2013年(平成25年)9月にグラントウキョウの2棟を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工、同年12月11日に八重洲口駅前広場のバスターミナルが竣工、2014年(平成26年)秋に八重洲口駅前広場の全体工事が竣工した。八重洲通りの突き当たりに、壁になる形で存在していた鉄道会館ビルが解体されたことにより、東京湾側から皇居側へ向かう海風が通り抜けやすくなり、ヒートアイランド現象の改善が期待されている。
丸の内口側においては、2007年(平成19年)から2012年(平成24年)まで赤レンガ駅舎の復原工事が行われた(#赤レンガ駅舎の復原)。この復原工事の完了に伴って、赤レンガ駅舎前の駅前広場にガードレールによる仮設の交通広場が設けられたが、2015年(平成27年)冬までに丸の内南口前の交通広場の再整備を行い、2017年(平成29年)春頃までに丸の内北口前の交通広場と丸の内中央口前の「都市の広場(仮称)」を含めた丸の内駅前広場全体の再整備を完了させる予定である。また、2014年2月までに、駅前広場にある総武・横須賀線地下ホーム用の換気塔を、高さ13mから4mまで切り下げると同時にデザインを変更し、駅前景観を改善させた。
さらに、2014年(平成26年)末までに丸の内地下エリアに地下南口待合広場を整備し、2017年(平成29年)夏までに丸の内地下エリアの全体的な再開発を完了させる予定である。この再整備により、丸の内地下エリアの内装デザインが「格調高く賑わいのある」もの一新され、地下中央口から東京メトロ丸の内線に繋がるコンコースが拡幅され、トイレや改札、コインロッカーが再配置される予定である。
また、丸の内北口と八重洲北口を繋ぐ駅構内の東西自由通路を拡幅する予定があり、駅南側にも東西自由通路を新設する計画がある[12]。
赤レンガ駅舎の復原[編集]
復原に至る経緯[編集]
かつての丸の内側の赤レンガ本駅舎は1945年(昭和20年)5月25日のアメリカ軍による空襲(東京大空襲)によりその多くが破壊、焼失した。戦災復興工事によって、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられ、内部は3階の窓の開口部は保持されたが、残存したアーチなどのレリーフは新設されたローマのパンテオン風の意匠によるジュラルミン製のドームによって隠された。終戦後の1947年(昭和22年)、開業当初の状態より一回り規模を縮小して修復された。GHQの体制下応急処置的に工事が行われ、屋根の小屋組については復員してきた海軍の技師が5年もてばよいということで、薄い木材のトラス造りで応急的に工事をしたという[13]。一方実際に工事にあたった関係者は、あくまで国鉄内部の技術者が修理したのであって旧海軍の技術者が関わったという説は何の根拠もないと主張している[14]。この復旧された駅舎は、応急復旧のままで60年余りが過ぎることになった。旧・日本国有鉄道(国鉄)は戦後度々赤レンガ駅舎の建て替え構想を出しては延期しており、1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化の時には当駅全体の土地の3分割を伴った再開発構想が提案され、赤レンガ駅舎の建て替え高層化か保全をするかが本格的に課題となった。これに対して、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」などによる赤レンガ駅舎保存の市民運動が起こった。
1988年(昭和63年)、政府は学識者の委員会による東京駅周辺地区再開発構想を取りまとめ、赤レンガ駅舎の現在地での形態保全の方針を決定し、JR東日本などの検討により1999年(平成11年)、本来の形態に復原することとなった[15]。また、2003年(平成15年)4月18日には国指定の重要文化財に指定された。
復原工事[編集]
復原工事に先立って2006年(平成18年)3月17日 - 31日に丸の内駅舎内で「東京駅ルネッサンス」が開催され、2007年(平成19年)5月30日より、鹿島・清水・鉄建 建設共同企業体が担当となって、駅舎を本来の姿に近い形態に復原する[※ 6]工事が開始された。この工事では、鉄骨鉄筋コンクリート壁で躯体を増築して建築当初の3階建てに戻した上で、外壁、尖塔、南北両ドームの内外の意匠も再現し、新たに地下1・2階を増築し免震装置を設置した。免震装置には地上部分と地下部分との間に免震ゴムとオイルダンパーを設置した。
3階の外壁は、創建当初と同じ仕様の厚さ 15mm の化粧煉瓦を貼った外壁に復原した。戦後の修復で2階に移されていたイオニア式柱頭も当初の3階に移設し、支柱の形状も創建時のものに戻した。失われていた花崗岩の柱頭飾り、銅の高欄はモックアップを用いてディテールや施行方法を検証し、創建当時の意匠に復原した。2階以下は既存の構造煉瓦と同じ厚さ 15mm と 45mm の化粧煉瓦を貼った(下駄っ歯積み)。線路側はコンコース側の壁を撤去し、トップライトから採り入れる自然光で復原された丸の内駅舎を見ることが出来るようにした。
ドーム内部の保存と復原の基本方針は部位によって異なり、3階以上の壁面と天井面は、干支や 2m を超える大きさのワシの彫刻やレリーフが存在した創建時の意匠を忠実に再現し、1階と2階は、3階以上の部分と調和を図りながらも機能性に優れた新しいデザインとした。3階張出部を支えていた装飾付きの鉄骨支柱は、RCで補強され円柱にかわったために、全体としては機能的な装飾のない意匠となった。ドームに施されたレリーフは南北のドームで全く同じである。
工事による一時解体に伴い、それまで使用していた雄勝石の屋根材65,000枚は産地でもある宮城県石巻市雄勝町の業者に送られて、選別・清掃・補修した上で倉庫に保管されていた[16]が、東日本大震災で発生した津波で塩害を蒙った[17][18]。このため、使用可能と判断された45,000枚のみが復原駅舎でも再利用され、不足した2万枚はスペイン産のスレートで補われた。なお、工事全体では約457,000枚のスレートが必要とされていたため、再利用分を除いた残りのうち15,000枚は石巻市の業者が製作したもののを使用し、残りはスペイン産で補う計画であったが[19]、この業者の工場も津波によって壊滅し、出荷前の天然石スレートも津波に流された。震災後、流されたスレートは回収・洗浄・検品され、使用可能な7000枚が東京に送られた。
ドーム部分の屋根は、建設当時の銅板葺きに戻され、0.4mmの銅板が合計1トン使用された。時計下の外壁レリーフは2m四方の銅板3枚を使って叩き出されたものを使用した。線路側の中央部の屋根はガラス化して、屋根裏をホテルのゲストラウンジにした。
外壁の花崗岩は、中央部御車寄せ周りと1階腰石が北木産花崗岩北木石で、その他はすべて稲田産花崗岩である。 保存・復原工事には、広場側復元部には稲田産花崗岩、線路側は中国産花崗岩をそれぞれ使用した。また、1階腰石は北木産花崗岩北木石である。 日本国内では職人の数も減り、丸の内駅舎のすべての製作をすることは難しいことから、中国での製作とした。稲田産花崗岩は日本で切り出し、中国へ運び、中国で製作のうえ、日本へ戻し丸の内駅舎へ取り付けた。 [20] タイルレンガの目地には、覆輪目地が施工されているが、すでに失われた施工方法となっており、職人が3か月間の試行錯誤で、技術と道具を復活させて再現している。
窓枠には全て三協立山製のサッシが採用された。新しい窓枠はアルミにフッ素樹脂塗装されたものであるが、大正時代には木製建具が主流であったことから、過去の文献の調査だけでなく辰野金吾が設計した岩手銀行中ノ橋支店を視察するなど試行錯誤の末、色合いを木の風合いにできる限り近づけた「東京駅専用ビル用サッシ」を新たに開発した。また窓の装飾に使われるアルミ製鋳物も三協立山が手掛けた[21]。
2012年(平成24年)6月10日に、復原された駅舎の一部(1階部分)が再開業し、同年10月1日に全面再開業した。また、復原工事に伴って2006年(平成18年)4月から営業を休止していた駅舎内の「東京ステーションギャラリー」(東日本鉄道文化財団運営)も全面再開業と同日に拡大再開業し、翌々日の3日には「東京ステーションホテル」も規模を拡大して再開業した。地下には新規にレストランが開業した。
復原工事費用(約500億円と新聞などで伝えられている)はJR東日本などが「空中権の売買」を行って捻出した(詳細は「特例容積率適用区域制度」参照)


改修前の東京駅(2007年9月)


改修前のドーム内部(2006年3月26日)


保存復原工事の状況(2009年11月)


保存復原工事により、南ドームが姿を現す(2011年3月)


完成した北ドーム(2012年9月)


復原されたドーム内部(2012年10月)


保存復原工事完成後、夜間にライトアップされた東京駅(2012年10月)
ウィキメディア・コモンズには、東京駅丸の内駅舎保存復原工事に関連するカテゴリがあります。
ウィキニュースに関連記事があります。
東京駅の赤レンガ駅舎、復元工事を終えグランドオープン (2012年10月1日)

その他の特徴[編集]
姉妹駅
東京駅は2015年現在、オランダのアムステルダム中央駅と、アメリカ合衆国ニューヨーク市のグランド・セントラル駅、中華民国(台湾)新竹市の新竹駅およびドイツフランクフルト中央駅の4つの駅と姉妹駅の提携をしている。アムステルダム中央駅とは2006年(平成18年)4月11日提携[22]、グランド・セントラル駅とは2013年(平成25年)3月19日提携[23]、新竹駅とは2015年(平成27年)2月12日提携[24]である。フランクフルト中央駅との姉妹駅は2015年9月25日にJR東日本により発表された[25]。それによると姉妹駅となった理由は、100年以上が経過する歴史的な建造物を有することと他方面への起点駅であることである[25]。
えきあど
JR東日本では、鉄道駅としては初めて2006年10月16日から駅構内にSuicaショッピングサービスを利用した私設私書箱「えきあど」を設置している。528箱が使用可能であり、使用可能時間は午前4時から翌日午前0時30分までで、年会費は500円、月使用料金はSサイズが2,400円、Mサイズが4,500円である。
使用する際はあらかじめ会員登録を行うが、Suica・PASMO(2007年3月18日以降対応)・ICOCA(2008年3月18日以降対応)が私書箱を開ける際の鍵の代わりとなる。私書箱の宛先は「〒100-○○○○東京都千代田区丸の内1丁目9番1号(○○番号)私書箱」となる。荷物が届くと携帯電話などの電子メールで通知される。
赤煉瓦コンサート
1987年から團伊玖磨を音楽監督に迎えて定期的にコンサートが開催されるようになり、「とうきょうエキコン」の名で多くの人に親しまれた。このイベントは終了したが、2004年10月13日に「赤煉瓦コンサート」の名称で演奏会が復活している。音楽監督には池辺晋一郎が迎えられた。
旅客収入額
当駅の旅客収入額はJR東日本の駅中第1位である(1日平均およそ2億6千万円、2位は新宿駅で同1億6千万円)。また、2008年現在旅客収入額のデータを公開しているJR駅中でも第1位である。どちらも新幹線などの長距離列車の発着が多く、乗車券の単価が高いためである。旧国鉄時代は日本一であった。2008年現在は正確な順位がわからないが、各新幹線が集中し、長距離旅客利用が日本一多い駅であるため、日本一であると見ら





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