お問合せ 削除依頼


画像クリックで原寸大表示
投稿日:2015/07/17 14:13

おでん

投稿者 [no name]      
投稿一覧

プロフィール


すべての投稿

トップページ


  

ツイッター、フェイスブックでログインする事により投稿できます



江戸時代、江戸では田楽が庶民に親しまれ、直方体の豆腐を串に刺したものを焼いてから味噌を付けて食べるものが江戸名物となっていた[5]。その後、田楽にこんにゃく、芋などの野菜や魚類が使用されるようになり、さらに後にせっかちな江戸っ子に合わせて煮込みが行われるようになった。
1782年 『豆腐百珍』が発行され、豆腐田楽が絵図に記載されている。蒲鉾も作られるようになった。 1837年 『守貞謾稿』が発行され、江戸の町では「上燗おでん」という振り売りがあると記述されている。
江戸近郊の野田などで香りと味の良い醤油の醸造が盛んになったため、削り節に醤油や砂糖、みりんを入れた甘い汁で煮込んだ「おでん」が作られるようになった。外食産業が盛んであった江戸では、「おでん燗酒、甘いと辛い、あんばいよしよし」の掛け声で売る「おでん かんざけ」と書いたのれんを掲げたおでんの振売や屋台が流行したが、「甘い」は煮込みおでんで、「辛い」は味噌田楽である。このころには、「ハンペン」も種として使用されるようになった。江戸ではかつお節の削り節が利用されるようになっていて、昆布と合わせて出汁とされた。日本橋室町界隈は魚河岸が近く、その後に移転した「築地」にかけて、創業元禄元年(1668年の老舗店が存在している[6]。『日本食物史』には、戦後の闇市で「うどんやカストリ、おでん」を売っていると記述されている。
上方では、田楽が「お座敷おでん」として客座敷に出されるようになったが、種を昆布だしの中で温めて甘味噌をつけて食べる「焼かない田楽」[7] と区別するために「関東炊き/関東煮」(かんとだき)と呼んだ。その後の関東煮は、昆布・クジラ・牛すじなどでダシをとったり、薄口醤油を用いたりと、関西風のアレンジが加えられていった。これを「関西炊」と呼ぶ人もいる[7]。大坂の天満ではタコを甘辛く煮たものが人気となっておりこれを「関東煮」と呼んでおり、おでんに対する関東煮の語源については「かんとうふ煮」説や中国広東の煮込み料理[8]に由来する「広東煮」説もある[9] が定かではない。
一説には関東煮は当時「改良おでん」とも呼ばれ、東京・本郷の「呑喜」主人が1887年に西洋料理のスープを活かし、汁気のなかった従来のおでんをたっぷりのつゆで煮たことがはじまりともいう[10]。1937年(昭和12年)発行の大日本帝国陸軍調理教本「軍隊調理法」では、がんもどき・こんにゃく・大根・里芋・竹輪麩を、削り節・醤油・砂糖のダシで調理するおでんが「関東煮」と表記されており、田楽とは別となっていた。関東煮の名称は1965年(昭和40年)頃まで使われた[9]。
江戸も明治時代に入ると「おでん茶飯」の屋台が人気であった。しかし関東大震災(1923年)で被害を受け物資も減る。それを機に、関西から関東へ職人の行き来があり、関西風のおでんが関東に逆輸入され[7]、それまで江戸では使用されなかった様々な種のおでんが広がる事になった。これら人の行き来があったために、現在の東京の老舗おでん店でも様々な味付けがある。
あらかじめ煮込んでおけば提供できる関東のおでんは、日本全国に広がり、屋台・居酒屋・駄菓子屋などで親しまれて家庭の定番メニューともなっていった[7]。さらに、1980年代から全国に広がったコンビニエンスストアで冬期限定商品として扱うようになり、さらに一年中食べられるように変化して、より身近な存在となった。wikipediaより





pytalovd.com